2007年8月11日放送 |
● 高橋奈央子氏 ● |
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「ロゴスフィルム」という映画伝道をするチームを起こしまして。聖書を体現する役者になりたいという思いがあって役者の道に入ったんですけど、映画をとおしてキリストの愛を伝える巡回伝道ができたらいいなと。 私は母がクリスチャンだったので、物心ついたときにはイエス様の臨在というのをすごく感じていて。なぜ私は臨在感をちっちゃい頃から味わっているんだろうってずっと不思議だったんですけれども、2、3年前に、母が祈りの中で示されたことがありまして。 私が産まれて1、2ヶ月後に、母が私を愛媛の祖母に預けて、東京の自宅に帰ったことがあったんですね。そのことを私は以前から聞いていたんですが、特に何とも思っていなかったんです。でも母が祈りの中で、このように感受性の強い子が、いきなり母の匂いから取り去られたときにどれほど絶望を味わうだろうということを示されたそうなんですね。 私はそれを聞いたときに、すごく自分のルーツを知った気がして。あ、私が本当に無力で惨めで、何もできない赤ちゃんで、そこで光に出会ったのがイエス様だった!父や母っていう普通の概念ではなく、まず最初に神様が父であり母でありっていう子であって、神様と結ばれたっていうのが、私の記憶の最初のようなところにあるんですね。本当に私は弱く造られて、何もないときに、キリストが、キリストしかいない場所に私を追いやってくださって、そこで造って、出てきて、それが歩みだったんです。 いろんな歩みの中で、孤独を味わうこともすごくありまして。それは何かいじめを受けたとかそういうわけではないんですけれども、やっぱり人間って、自分のことを共有できる人というのはいないと思うんですね。一緒に悲しみや喜びを共有するのは素晴らしいことなんですけれども、自分と同じように自分を受けとめてくれる人はいないので。その奥底にコミュニケーションをとれる、神様と自分以外のものは入れない、神様の穴というのがあるのかなと。人間は、ちっちゃい時からたくさん積み重ねてきた自分の重荷というのがあって、やっぱりそれは、神様と一対一で会える場所でないと完全には下ろしきれないんじゃないかなと思います。 私は、自分が赤ちゃんで、本当に何もなくて、絶望していて、とても惨めで、自分すらも頼れない、そのような状況にあったということ以上に、イエス様という方は、神の子であるにもかかわらず、私以上に傷だらけになって、絶望のような叫びをもって私の名を呼んでくださった。その姿を非常に心に強く受けとめた時がありまして。それを目の当たりにしたとき、このように神様は私を、イエス様を知らない一人ひとりを、自分の体のように呼び求めておられるのかと。その姿は傷のない完全な姿で呼んでいるというよりは、本当にボロボロになって、誰よりも惨めな姿になって…。その激しさに出会ったときに、あぁ、私はもう、神様に従うしか他に道はないと思いましたね。 |