キリスト教放送局FEBC「わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」旧約聖書イザヤ書44章22節(聖画:サン・ダミアーノの十字架)
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 2007年9月22日放送

坂内泰子氏
(神奈川県立外語短期大学助教授)

 病気をしたことで「もう行かなくちゃいけない!」という感じで教会へ行きました。その「もう」っていうのは、惹かれてはいたんです、ずっと若いときから。でもチャンスがなかった。お友達に誘われることもなければ、学校がミッションということもなかったし。自分の中ではずっと、神様っていらっしゃるんだと思っていましたけれども。

 最初に手術を受けたときは、すごく「頑張る!」って思っていたんですよね。どこで誰に教えられたかわからないんですけど、「耐えられないような試練は神はお与えにならない。その脱出の道も備えられる」っていう一節をずーっと信じていたんですね。たぶん聖書のどこかにある言葉なんだろうなって思っていて。ずっとそのとおりに何十年やってこられたんです。これもまた、ここで耐えて頑張ることが大事!って思っていました。でも退院して外来に行ったら、先生の顔色がバーッと変わっちゃって、ドタバタと再入院になって。それにものすごくショックを受けたんですね。

 それまでは、まだ自分は頑張るんだ!って。でも「再入院」って言われたときは,「あぁこれで終わりだ」っていう気分でしたね。真っ逆さまに奈落の底で、それまで泣かなかったけど涙は出るし。看護婦さんが見ても「前と違う」って、カウンセラーを付けてくださったんですね。そのカウンセラーの先生にも助けられましたけど、でも「なんか違うのよ!」っていう感じがしたんです。とっても自分が価値のない存在になった気がして。私はもうこれから生きていても人の役に立つことはできない。人の世話になるばっかりだ。だったら緩やかな坂道をずるずる下るよりは一気に行ったほうがいいと思いました。だけど自分から死ぬことはできない。でも、負け戦ってわかっていることをずっとやるのは耐えられないって思ったんですね。

 外泊していいって言われて、やっぱりこれは神様に近い人に話を聴いてもらいたいって。20年も教会のすぐ近くに住んでいたんですけど、行くきっかけがなかったんです。でも先生のことはずっと存じ上げてて、「あの先生に聴いてもらおう」っていうことがスッと出てきたんです。そこで私が支えてほしいと思っているようなイエス様を教えてくださったんです。私は理屈っぽい人間なんですけど、「そんなのいくらでも説明つくじゃないか」っていう心が頭をもたげないんですよね。だからそれが自分にとっては自然だったんだと思います。私は、頑張ろうと思って生きてきたし、自分が努力することが大事だと思ってきた。だから、神様は耐えられない試練を与えるようなことはなさらないって思ってました。でもそれは全部、自分の問題だったんです。じゃあ自分の根本は何なのか。その一番の根本で、私は私になろうと思って生まれてきたわけではないです。ここに私がいることが神様の業なんだって。その根本のところを忘れて頑張るも何もないっていう気がしました。白旗振って「私が頑張る、私が強くなることではありませんでした」って。私はもう本当に弱い存在で、それしかない。私が生きる死ぬっていう、私が私である根本のことが一番私にはどうしようもできないこと、そう思って…。今まで私は人並みに努力はした。人並みに辛い思いもした。人並みに耐えた。人並みに全部やってきたつもりだけれども、根本がおごりだったんだって。

神の前に砕かれた…。

そう、そうです。バシっと。鉄槌が下ったみたいな感じですね(笑)。

そのときどんな気分だったんですか。

 生きるにしても死ぬにしても、私は幸せだと思いました。

初めて先生をお訪ねして、どうしてそんなふうに思えちゃったんですか。

 不思議ですよね。先生は「治る」とかそんなことは一言もおっしゃらないんですよ。私、もしそういうことおっしゃったら信じなかったと思う。パウロの話をしてくださって。「わたしの弱さを誇る。弱さの中に神がある」っていうところを。もう本当に私は何も言えないで、そのとおりだと思いました。検査の結果が最悪であったとしても、私は命のあるうちは生きられるんだって。何なんでしょうね。説明できないです。あぁ、私は神様に守られていたんだ!って。

 骨髄抑制で白血球がガーッと下がるんですね。それで「あんまり出歩くな」って言われて。カウンセラーの先生に「今までやったことのないことをして、自分の知らない自分を捜しなさい」って言われて、編み物をやってみました。そのときにFEBCを聴きながらやると、いいんです。気持ちが前向きになるんですね。本当に助けていただきました。だんだん自分の中で、病気である自分が落ち着いてきたんでしょうかね。そういう病気を抱えることによって、私が今生かされているのは神様の恵みであると。生の根本において傲慢にならないようにっていうことだと思います。不思議ですね。

本当にこれはもう、「あぁ、神様がそうしてくださったんだ」って、結論はみんなそこに来ちゃいますね。

ええ。私はそれでいいです。そうなんですもの。

私みたいにね、教会に行きたくて、きっかけがない方っていらっしゃると思います。病院でお友達になった方が入院されてて、クリスマスの案内をその方に、もらったら嫌かもしれないけどって思いながらお渡ししたんですよ。そうしたらね、涙流されて、「神様っていらっしゃるのよね」って言って私の手を握ってくださって。私はただクリスマス礼拝の案内を差し上げて、「調子が良かったらご一緒しましょ」って申し上げただけだったのに、その方はものすごくそれを喜ばれて。

―教師として、これからこそ神様が良いお仕事をさせてくださるんじゃないですか。

本当にそれが願いです。もし健康を支えてくださるとすれば、そのためだろうと。弱さを知ってから、人に尽くす者にしていただけたら嬉しい。今までは、「私が自分の力をあなたのために使うから」みたいなところがどうしてもあったと思うんですよ。でもそうじゃないですね。神様が使ってくださるのであれば、その時々の恵みがあるかなって信じてます。

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