2007年12月15日放送 |
● 大野恵子氏 ● |
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■イエス様が分からない 私は両親も祖父母も親戚も皆クリスチャンという環境に生まれたんです。教会学校でもかわいがってもらってたんですけど、中学校になって教会に行かなくなってしまったんですね。「日曜日教会に行く時間に他のことをしたい」っていう思いに駆られて。自分としては、せっかく始まった中学生生活を大切なものにしたいって思って。神様を否定する訳ではないですし、教会が楽しくない訳でもないんですけども、イエス様が私にとってどんな方なのかを本当に理解することが出来なかったんです。教会に行かなくなって、私の中から神様がどんどん遠くなって、私の心を占めているものが周りとの競争とかばかりになってしまって。両親が教会に誘っても「行かない」って、私の心はどんどん閉ざされていってしまいました。 ■立ち止まらされる経験 そういう生活が中学三年間続いたんですけども、高校受験を控えたある夜、救急車が私の家のすぐ近くで止まったんですね。その救急車の音が私の耳から離れなかったんです。 次の朝、運ばれて行ったのが私の親友のお父さんだったことが分かったんですね。わたしは「あの救急車の音が親友のお父さんの命の瀬戸際の時だったんだ」と思った時に、いたたまれなくなったんですね。私は家族と楽しい時を過ごしている。でも、友達は本当に苦しいどん底の中に置かれていたと。私は「同じ高校に行こうね」ってその親友を一生懸命励まして、それで結局同じ高校に行けたんですけども、それでも私の心は揺れ動いていたんです。本当に立ち止まらされる経験というか。この出来事を思いめぐらしている中で、私たちの力だけではどうにもならない世界があるんだっていうことに行き着いたんですね。 死ということを考えた時に、私はやっぱり怖かったです。その親友のお父さんはお元気な方だったんですけども、一瞬のことで亡くなられて。その時に、私はそれまでの歩みを神様からストップをかけられたような気がしたんです。 ■「あなたを教えてください」 高校に入ってから、教会に戻りました。私の心の中であの救急車の音が消えなかったんです。今でもはっきり覚えているんですけども、私の中で神様が分からなくなっていましたが、それだけに余計、分からない方に向かって叫んだんです。「神様、もしあなたが本当におられるなら、私に教えてください」って。その祈りを神様は本当に聴いていてくださったと思うんですね。私の心の中いっぱいに叫んだその祈りを、神様は決して忘れないで聴いてくださって、私を教会に導き返してくださったと思うんです。 ■示されたのは十字架 私が本当にイエス様に出会ったのは、高校一年生の夏キャンプでした。それまでは何度十字架のメッセージを聴いても他人事で、神様は否定しなくても、何か遠い存在だったんですね。でもそのキャンプで、十字架のイエス様に出会ったんです。前に「あなたを示してください」って祈りましたけど、その示された姿は、十字架上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです。」と祈っておられるイエス様のお姿だったんですね。それまで、自分がしてきたことは、神様の前にそれほど申し訳ないことだとは思ってなかったんですね。ある意味で自分はとてもいい子だと思ってました。一生懸命自分なりに頑張ってきたし。だから、罪が分からなかったんですね。でも、神様を知らないで十字架のイエス様をののしっている人たちの中に、私自身を見たんです。その時に初めて私は自分の罪が分かったんです。どんなに私が自己中心だったか、神様がおられるのに「神様なんかいらない」って言って過ごしてきた人生、そのことが一番の罪なんだってことに気づかせていただいたんですね。その時に、「彼らを赦してやってください」っていうイエス様の愛が私の心の中に本当に注がれてきました。「あなたを本当に良く分かるようなところに生まれさせてくださったのに、私はあなたからどんどん離れて行きました。赦してください。神様、私はあなたに帰ります。イエス様を私の救い主として信じます。」そう言って、泣きながら神様の前に帰らせてもらいました。 ■救われた時よりも その秋に洗礼を受けました。その時には本当に平安が与えられたんですね。頭の中から離れなかった救急車の音、死に対する恐れ、全て神様が取り除いてくださって、神様の御手の中にしっかり置かれたっていう安心感をそれからずっといただいているんです。だから、本当に明るくなりました。 キャンプのときに祈ってくださった先生が示してくださった、「恐れるな、わたしはあなたを贖った。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのものだ。」という御言葉が、本当に私の支えになって日々語りかけてくれて。聖書の他の御言葉も、その時から、神様からの語りかけとして分かってくるようになったんですね。それは本当に嬉しくって、神様が私をどんなに愛しているか、導こうとされているのかを、その時以来、時が経つほど分かってくるようになって。私は救われたときも嬉しかったですけど、今の方がもっと嬉しいですね。 |