キリスト教放送局FEBC「わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った」旧約聖書イザヤ書44章22節(聖画:サン・ダミアーノの十字架)
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2007年5月2、9、16日放送

芳賀 秋氏
東京フリー・メソジスト 小金井キリスト教会
 

あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、たましいの牧者であり監督者である方のもとへ帰ってきたのです。
(1ペテロ 2:25)

聖書の一番最初のページの「初めに、神が天と地を創造した」(創世記1章1節)という、この言葉に会ったときに本当にびっくりしたんです。私の家はあらゆるところに神棚があったんですね。店に、物置に、倉庫に、台所に、風呂場に、トイレに…、本当にあらゆるところに。それが、「神」ということを聞いて、えっ!と思ったんです。この神様ってどういうお方?と興味を持って。そうしたら、天と地を創造したお方、唯一のお方、まことの神様っていうことがどんどん出てきて、えーっ、えーっっ、えーっっっ!って、とにかくもうびっくりしたんですね。それで続けて教会に行くようになって。

教会の人たちの姿を見て、恥ずかしぃ〜って最初思ったんですよ。皆さんの祈りを聞いていると、みんなの前でなんで恥ずかしい自分が出るの?って驚いたんですね。そんな世界知らない!いつも自分を良く見せる世界しか知らないのに、みんないる前で平気で「神様、私はこんな者です」って祈っている。初めは本当に驚いたんですけど、そのうち、私もあんなになりたいなって…。何かそこにすごく、自由って言うんですかね、そんなものを感じたんです。

ある時、神学生の人に「私もあんなになりたいって思うんです」ってお話したんです。そのときに「あなたのうちに罪があるから自由がないんですよ。あなたがその罪をイエス様の前に告白して、イエス・キリストを信じるとき、イエス様はあなたの罪のために十字架で死んでくださったんだから、あなたは自由を与えられますよ」って。

イエス・キリストのことなんて全然知らない。イエス様の十字架も知りません。自分の罪なんてものも知りません。けど、自分の悪いところって続々出てくるんですね。それを全部紙に書き留めて、「神様、私はこんな者です。どうか赦してください。イエス様が私のために死んでくださった、私はその十字架を信じます。」十字架のこともなんにも知らなかったんですけど、信じたんですね。その時にびっくりしたのは、私のうちに今までなかった平安が与えられたんです。それまで一所懸命ゴーイングマイウェイの道を歩んでいたんですけど、何やってもどうしても心の隅に何か満たされないものをいつも感じていたんです。それが、「イエス様を信じます。」その時に与えられた平安。何だかわからなかったんです。

後になって、聖書を開いていたとき、第1ペテロ2章25節で「さまよえる魂が救い主のもとに帰った」っていうお言葉があったんです。あっ、これなんだ!私の魂はさまよっていたのが、神様のもとに帰ったから平安が与えられたんだっていうことを初めて知ったんですね。

信仰を持って間もないのに、なーんにも知らないのに神学校に入学して。小金井教会に住んで、そこから通ったんです。小金井から新宿まで行き、新宿から池袋まで行き、池袋から赤羽まで行き、赤羽から北浦まで、次から次へ乗り換えて行くんですけれども、電車の中が私の教室だったんです。電車の中で、とにかく夢中で脇目も振らないで聖書を読んだ。夢中で読んだ聖書の御言葉が、今、生かされるんですね。その時はわからなかったんです。でも、卒業して実践の場に出たとき、読んだお言葉が次から次に出てくる素晴らしさ!そのことを体験させていただいて。

何事も思い煩うな、ただ事ごとに祈りをなし、願いをなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ。(ピリピ4:6)

子どもが生まれてからも、私は子どもにベタベタできないんですよ。それでね、「神様、私に母親の心を与えてください」とかね、「もっとお母さんらしく子どもをかわいがることができるようにしてください」とか…。その私に与えられたお言葉は「何事も思い煩うな、ただ事ごとに祈りをなし、願いをなし、感謝して汝らの求めを神に告げよ。」(ピリピ4章6節)、それと「民よいかなる時にも神によりたのめ、その御前に汝らの心をそそぎいだせ。」(詩篇62篇8節)

そのお言葉があったものですから、本当にことごとく祈ったんですね。神様、私にはなんにもできないですから、祈りますって。すぐ「神様、どうしたらいいんでしょう」って。祈って子どもを育てたっていうんですかね。それしか言えないんですね。私が母親らしかったからとか、信仰深い母親だったからとか、なーんにもないんです、そういうのは。ただ祈ったんです。ですから四人の子どもは神様が育ててくださったって言う以外にないんですね。

我キリストと偕に十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり。(ガラテヤ2:20)

66歳で定期検診を受けたときに、胃の上部が変形しているので診てもらったらいいですよって言われて。そうしたら「芳賀さん、ガンですよ」って言うんですね。えっ、私?って、もうキョトンとしちゃって。帰って「ガンって言われちゃったの」って言ったら、主人がすぐ主治医に電話して。そうしたら、「実は奥さん、スキルスガンなんですよ」って。スキルスガンっていうのは本当に早く広がっちゃうんだそうで。それで次の週に手術したんです。

私はね、ガンをするまで、生きるっていうことは当たり前に考えていたんです。生きることの意味とかそんなの深刻に考えないで、とにかく福音を伝えることに夢中になって、一所懸命にやっていたんですけど、ガンになったときに、神様に「生かしてください!」って祈ったんです。もう本当に必死で。なんで自分がこんなに生に愛着があるのかって、初めて自分自身を知ったんです。天国行きたいとは思わなかったんです。生きたかったんです。それから、生きる意味って何?何のために生きる?私の生きるっていうことはどういうことなんだろう?真剣に考えたんです。

それから私は、「キリスト我が内に在りて生くる」(ガラテヤ2章20節)ということを本当に実感して。私が生きているんじゃなくて、キリストが私のうちにあって生きるということを知るようになったんですね。生きるっていうよりも、生かしてもらっている、その喜び、そのことを、初めて、初めて知ったんです!66歳になってからですよ。なにか恥ずかしい、遅い歩みなんですけどね。

私は今、74歳なんですけど、「神様、どうぞ神様が私を生かしてくださることがわかるようになってから十年以上生かしてください」って祈り続けているんです(笑)。私の力じゃない。イエス様の復活の力。内住のキリストによって私は生かされてるから、こうして生きてご奉仕させていただくことが喜びとなるっていうことがわかるようになってきた。生きるっていうことはこういうことなんだなって実感させていただいています。

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