2007年12月4日放送 |
全ての人に差し出された救い |
|
石居 私たち日本人は祖先を大事にします。そういう日本人の中にキリスト教信仰が入ってきたときに、 私たちが問われてドキッとするのは、「洗礼を受けないで死んだじいちゃん、ばあちゃんはどうなるか?」だって聖書に「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」(マルコ福音書十六章十六節)と。 吉崎 でも他のところに、「キリストはすべての人の救いのために来てくださった」っていうこともありますよね。 石 そうです。すべての人に向けてその救いの手を差し伸べる、それが神様のあり様だと思います。「信じない者は滅びる」、これは強い強い信仰への招きの言葉ですね。信じるということの中で、初めてその喜び、平安が与えられるから、そこから離れちゃダメだよという強いメッセージだと思います。 私たちは、その信仰に至らないでこの世の生を終えていった人たちをたくさん知っているわけですね。日本人の気持ちとしては、その人たちのために何かしてあげたい、その人たちの救いを私たちがもたらせるように何か約束が欲しいと思います。でも聖書はそのことを、実は私たちの手の内に置いていません。私たちが何かをしたら救われるっていうふうに書いてないんです。日本人だと、死んだじいちゃんやばあちゃんのために一生懸命供養しましょう、そのことで成仏する、だからお墓を大事にしようというふうに言われるわけですけど、そのように私たちがなし得ることというのは聖書に書いてないんですね。だからちょっと不安になる。不安になるんだけど、本当は一番大事な救いの基を聖書は記しています。それはキリストの十字架と復活の出来事。そこにゆだねることが、私たちができる最善のことです。それは決して死んだじいちゃん、ばあちゃんだけのことじゃなく、私たち自身のこともそうなんですよね。私たちが信じて洗礼を受けるということは、他にゆだねるところがなくて、詮方尽きて私たちの成すべきことは何もない。でも、キリストがいてくださる。その信頼の中でキリストにゆだねる。これが信仰です。死んだじいちゃんやばあちゃんのことも、できることは、キリストにゆだねること。その一人ひとりの救いのためにキリストが来てくださったという約束がありますから、その約束にゆだねていくことです。 吉 信仰の告白で「主は陰府に下り、天に昇り」と。イエス様は陰府に下ってくださったということを本当に大きな慰めだと信じてるんです。 石 キリストはそのご生涯の中でもいつもいつも、信仰の群れから遠ざけられていた罪人のところ、悲しみのところ、慰めが本当に求められているところに出かけて行って、手を取って、慰め、祈ってくださって、命の豊かさを与えてくださったのですよね。そうすると、どこに陰府があるか。それは、キリストの十字架と復活の中に滅ぼされた。それに勝利をしてくださったキリストがおられる。これは本当に聖書が伝える豊かなメッセージだと思いますね。私たちはそれに信頼することが許されているんだと思います。
|