2007年12月5日放送(2007年6月13日の再放送) | |
第36回「主よ、あなたにとってわたしは?」 | |
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イエスは…弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。(マルコ福音書八章二七〜三一節) ペトロが「あなたはメシアです」と言ったこの出来事は、人類史上最初の信仰告白とも言われます。 イスラエルの人たちの待望する「メシア」には、ある明確な姿がありました。イスラエルの国は大きな国に占領されている。いつか新しい王が現れて敵の力を倒し、もう一度、神の国イスラエルを立て上げる。そういう方として、メシアを人々は待ち望んでいたのです。ペトロは恐らくそのようなメシア像を持っていたと思います。イエス様はその彼の理解を見抜かれて、これから自分がどんな歩みをするかをはっきりとお話しになったのです。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、殺され、復活する」。そこにこそご自分の救い主としての歩みがあると教えてくださっているのです。ペトロはまだそのことを知りません。その意味で、ペトロがここで「あなたはメシアです」と申し上げたことは、誤解と限界を伴った告白でした。 イエス様は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお聞きになりました。この言葉は「それでは、あなたがたは」というところに力がこもった言い方なんです。弟子たちがイエス様のことをちゃんと理解していないことは、イエス様も知っておられたでしょう。でもあえてお尋ねになったのです。それは、彼らの答えの中身よりも、イエス様がここでペトロたちに尋ねる、そこに意味があったからだと思うんです。この問いは、「今どう考えているのか」というこの時一回のことではないと思うのです。「あなたの生涯を通して、あなたはわたしのことを何と思うか。」つまり、これからのペトロたちの生涯は常にこのイエス様の問いをいただきながら生きる生涯になるのだということです。そしてこれが、イエス様に従うことによって与えられる、私たちの生活だと思うのです。 「あなたにとってわたしは誰か」とイエス様に問われるならば、私たちは立派な告白ができるとは限りませんね。自分はイエス様のことが本当にどれだけわかっているかと、自分の信仰の甘さや浅さを知らされます。でもこのイエス様の問いかけは、私たちを問いつめるものではないと思います。「あなたにとってわたしは何者か。」イエス様に問われると、私たちは自分の歩みを振り返らざるを得ません。この問いの前で、むしろ自分自身を問うということかもしれません。 世の中には、問うても問うても答えの見つからない問いもたくさんあります。でも、「私にとってイエス様はどんな方か」、そして「神様の前で自分はどういう存在か」、この問いには必ず答えが与えられます。イエス様は「あなたは命を捨ててまで愛すべき人だ。わたしはあなたを救う者だ」と答えてくださる。私たちはこの答えを聴くために、新たに問われ、新たに問うのだと思います。 | |
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