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番組表番組の聴き方
恵子の郵便ポスト 吉崎恵子
主イエス・キリスト 岩島忠彦氏
主よ、あなたが歩かれる道ならば 井幡清志氏
ひとりを捜す神 広田叔弘氏
信仰のないわたしを 横野朝彦氏

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(マルコ1章16〜17節)

 私たちは、「信じなさい」と言われてもすぐに信じる気持ちになるということはなかなかできない。ある時は「神様を信じよう」という気持ちになっても、時間が経てば変わるということもあります。私たちの心が信仰の決め手だとすると、人間の信仰というのはずいぶん不確かなものということになりますね。この私がどう信じるか、それは自問自答の世界と言ってもいいかもしれません。

 シモンたちは、一生懸命祈っているとか礼拝しているところではなく、網を打っているところをイエス様に目撃されただけです。漁師ですから網を打つのは当たり前です。イエス様はその彼らに「わたしについて来なさい」とおっしゃいました。イエス様は、信じるということを教えてくださったんじゃないかと思います。信じるということは、私の心が信じる気持ちになるというような私たちの側の営みではなくて、イエス様についていくことなんです。これは、そこにイエス様がおられなければできないのです。イエス様がおられるから私たちの信仰が始まるということです。ですから私たちの心がどうであれ、それによって信仰は左右されないのです。私たちの心が揺れ動いても、私たちのついていくイエス様は揺れ動かない。これが私たちの信仰です。

 「人間をとる」ということの逆は、「人間を失う」ということです。イエス様は「人間をとる漁師に」とおっしゃったんです。それは今そこに、人間を失っているような現実があるからではないでしょうか。自分を失い、人を失う歩み、生きているつもりが、罪の力に振り回され、自分の弱さに振り回されながら、命を失っていくような歩みに陥るという現実があります。イエス様は「人を失うのではなくて、人を得るあなたになるのですよ」とおっしゃっているんじゃないでしょうか。自分の命を本当に生きるために、共に生きる人たちの命を生かすために、「わたしについて来なさい。」これがイエス様のお招きであります。
 

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2006年4月19日放送
第3回「あなたへと差し出された御手がある」
(マルコ1章14〜20節)