インターネットラジオ
TOP・番組FEBCとはCD Shop聖書通信講座メール教会紹介月刊誌リンク
番組表番組の聴き方
恵子の郵便ポスト 吉崎恵子
主イエス・キリスト 岩島忠彦氏
主よ、あなたが歩かれる道ならば 井幡清志氏
ひとりを捜す神 広田叔弘氏
信仰のないわたしを 横野朝彦氏

 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。(マルコ1章23〜26節)

 当時イスラエルの中で、汚れた霊に取りつかれた人というのは、神様の御手からこぼれ落ちてしまった人間と見なされていました。この人に取りついている霊が叫んだのです。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。」ここでは男の人が叫んだんじゃなくて、霊が叫んだと記してありますね。これは、一人の人間の存在が、その心と体が、もうバラバラに離れてしまっているということじゃないでしょうか。

 ペトロという人はイエス様の一番弟子のような存在で、「自分はイエス様と一緒に死ぬ」と覚悟を決めていたんです。ところがイエス様が捕らえられて取り調べを受けている間近で、「お前もイエスの仲間だろう」と言われて、「そんな人は知らない。」そう言ったんです。イエス様を愛していながら、イエス様を見捨てていくんです。思いと生き方がバラバラになっていますね。

 律法学者という人たちは、神様に熱心に従った人たちです。ところが神様がイエス様をお遣わしくださったとき、むしろイエス様を追いつめ、その命を奪うために力を尽くしたんです。自分たちこそ神様に従う人間だと思っていた人たちが、神様のお心に反することを真っ先にやっていた。思いと行いとがバラバラなんです。

 そのように考えますと、汚れた霊に取りつかれた人に起こっていることは、弟子たちにも、律法学者にも、あるいは私どもにも起こっていることじゃないかなと思うんです。私ども自身も、思いと裏腹な人生を歩まないといけないこともある。幸いな人生を生きたい、そう思いながら、自らそれに反する生き方を選んでしまうこともありますね。

 汚れた霊はイエス様に「かまわないでくれ」と言ったんです。この言葉を聞いたときにイエス様は何とおっしゃったか。「黙れ。この人から出て行け」とおっしゃったんです。人間が自分の命や自分の存在を否定する言葉や思いを、イエス様は強く押しとどめられた。イエス様がどれほど人のことを深く愛されているかがはっきり現れた言葉だと思いました。汚れた霊は「自分にはかまわないでくれ」と言ったんです。つまり「わたしとあなたとは無関係じゃないか。かまわないでくれ。」そう叫んだんです。しかしイエス様は「いや、そうではない。あなたとわたしとは大いに関係があるのだ。わたしがどこかに行くんじゃない。神様から人の命を遠ざけるその思いこそ、出て行け。この命は、わたしにとってかけがえのない大切な命だ。この人はわたしのものだ。」そうおっしゃったんです。神様の恵みの御手の中に一人の人を取り戻す、イエス様はそのためにこの世に来てくださって、この人に、そして私たちに出会ってくださっているのですね。イエス様が「あなたはわたしのものだ」と言ってくださる。このイエス様のお心を信頼して、イエス様の歩みにお従いする。ここに、私たちの幸いがあるのです。
 

↑ページトップへ

番組ページへ戻る

番組ページへ戻る

2006年4月26日放送
第4回「あなたはわたしのものだ」
(マルコ1章21〜28節)