フシギな日本のキリスト教葬儀事情

今月、第四回目の放送を迎えました「キリスト信仰としての『終活講座』」
日本のキリスト教会には、ある特別な傾向があると、中道基夫先生はおっしゃいます。

どちらかというと日本のプロテスタント教会は150年前に伝えられたキリスト教の礼拝を大切に大切に守って、ヨーロッパ人やアメリカ人から言わせるとなぜあんな古い形を未だにやっているのかと、そういう指摘を受けるものなのです。あんまり礼拝のインカルチュレーション(文化内受肉)というのはみられない。それに比べて葬式というものは非常に変わっていて、ものすごく日本的になっているんですね。

私はとても意外だったのですが、みなさまはどうでしょうか?
今まで経験してきた教会の葬儀を思い返して、あれは日本式だったのか…という感があります。

でも確かに言われてみれば、浸礼・滴礼の違いこそあれ、
洗礼式はどこのプロテスタント教会でもほとんど同じ形で行われます。
その一方で葬式は、前夜式や故人の遺影の有無、献花があったりなかったり。
教派どころか教会単位でかなりバラバラですよね。

一体何故日本はそんな事になっているのか?という詳細は
ぜひ番組をお聞きになっていただきたいのですが、
先生はこの混沌とした状況に対して、ある一つの提示をされます。

教会の姿として「これが正しいキリスト教の考えです」という命題型アプローチがある一方で、人や文化に信仰を合わせていく共感型のアプローチがあると思います。けれども、私は敢えて言うなら、そのどちらでもないと考えています。

ただ150年前の方法に戻せばいいというものではない。
しかし、日本古来の風習にばかり合わせていてもおかしくなってしまう。
では、そのどちらでもないアプローチとは何か???

教会が、信徒が、キリストの復活の希望に結びついた
「終末論的な希望」を取り戻すためのすべ。
私もまた、葬儀に臨む一人として聞きたいと思います。


キリスト信仰としての「終活講座」
中道基夫(関西学院大学神学部教授、日本基督教団正教師)
聞き手 長倉崇宣
毎月第1金曜更新

第4回「連帯への招き―日本のプロテスタント教会の葬儀から」

聴取期限2/6

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