「バラス」

「ワシら皆、ダイヤモンドじゃないんや、と。私たちはねえ、バラスなんですよ!
まあちょっと格好のええバラスか、歪んどるバラスかの違いであって、
トラック一台幾らってぐらいのものなんですよ。
けれどもそれがね、神さまによって、これはワシのものだ!
と言われた所に私たちの素晴らしさがあるわけです。」

今回、榎本先生が云われた言葉ですけれど、「バラス」ってみなさん知ってます?
英語では“Ballast”つまり、砂利の事なんですね。

一人ひとりが素晴らしい。
一人ひとりが輝いている。

そんな優しい、キラキラしたフレーズが巷に溢れる昨今です。
そんな中、人はバラスだ!なんて言ったら
何て乱暴なことを言うんだと、突き上げを食らってしまうかもしれませんね。

でもやっぱり私は、この榎本先生の飾らない表現の方に、
リアルさを感じました。

ああ、やはりそんな私なのか…
自分の犯した罪を思う時など、
本当に砂利にでもなったような気分になりますから。
しかし、そんな私を主イエスは拾われたのだなと。
そんな不思議、幸いがあるのだな、と
また、祈りの中で思わされるのです。

きっと配慮も必要なのでしょう。
でも、現実を見せずに、社会の問題を見せずに。
罪の問題を見せずに、十字架を見せずに。
ただただ、うわべの優しさを語っても、
それが何になるのだろうかということを改めて感じます。

「あなたは大切な存在」
その言葉にただ頷いているだけではなく、
自分は何者か、という事を自分自身で祈り求めたいと思わされています。


召天40周年記念番組―ちいろば牧師・榎本保郎 説教選―
榎本保郎(アシュラム・センター元主幹、日本基督教団元牧師)
毎週月曜日更新
第21回「神は宣教の愚かさによって、信じる者を義とされたのである」
(コリント一1:21〜24)

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