神様から離れないようにと与えられた課題?

大切な人が苦しんでいる時、自分も苦しくてたまらない・・・
それは、本当にその人を思うからこそなのだと思います。

自分はそこまで人のことを大切に思っているだろうか・・・と考えると、
そこまで人を思えること自体が、とても尊いことだなと思えてきます。

今日は、聖書通信講座マタイ福音書を受講中のI子さんからのお便りをご紹介します。

今回も聖書通信講座ありがとうございました。
私自身は、まだ体調が良くありません。私の母もまだ試みの中に居ます。
大好きな母を、守って下さいと祈ります。涙が出ます。

この祈りの課題は、神様から離れないようにと与えられているものなのでしょうか?
何も問題が無くなったら、私はまた信仰から離れると・・・。
沢山の恵みの中で、信仰を持ち続けるのは、難しいのでしょうか?

気づけば、母はいつも試みの中に居ますが、神様を第一にして生きています。
良く分かりませんが、今日も聖書を読み祈っていきます。

マタイ15章。カナン人の女性は、「あなたの信仰は立派です」とイエス様から言われた。
私も言われたいです。

全ての重荷を神様に委ねて・・・中々難しいです。気がつくとまた自分で背負ってしまっています。
信じて従って行って、あなたの信仰は立派ですと言われたいです。

 

お便りをありがとうございます。
体調はその後いかがでしょうか。
お母様もずっと苦しみが続いていらして、I子さんにとっては、お母様が大好きだからこそ、ご自分の苦しみのように感じられるのでしょうね。

今回、I子さんが聖書通信講座でお読みになったマタイ15章。
このカナンの女は、娘を助けて欲しくて、叫びながらイエス様についてきて、ひれ伏して願ったのですよね。
お母様のために涙を流して祈っているI子さんと、娘のために必死になっているカナンの女、なんだか重なるように感じました。

考えてみれば、もし叫びながら自分についてくる人がいて、断っているのにまだくらいついてこられたら・・・
「立派だ」と思うよりも、ギョッとして引いてしまうだろうなと思います。

でもイエス様は「立派だ」と言ってくださった・・・

どうにもならない現実に、ただ叫んですがるしかないカナンの女を、そしてI子さんを、イエス様は「そのあなたこそ、わたしにとっては立派で尊い。」とおっしゃっているのではないでしょうか。

ここまで書いていて、カナンの女とI子さん、そしてもう一人、重なる姿が浮かびました。
「父よ、彼らをお赦しください」と、苦しみの中で祈られたイエス様です。

愛する人のために苦しみ祈るI子さんの痛みを、イエス様はご自分の痛みとして知っておられるのですね。
そのイエス様が、「また信仰から離れるといけないから、もうしばらく試練を与えておこう」なんて考えるとは思えません。
イエス様はI子さんと一緒に涙して、「わたしはあなたの苦しみを知っている。わたしがここにいる。あなたと共にいる。あなたの重荷を一緒に負う。」そうおっしゃっているのではないでしょうか。

このイエス様に、おすがりして、背負っていただきましょうね。
I子さんとお母様のために主の憐れみをお祈りします。

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