「きっとワクワクした人生になる」

神学生インタビュー・東京神学大学編

ご出演 : 佐々木真理 東京神学大学神学生
コーヒーブレイク・インタビュー インタビュアー:吉崎恵子
7月7日放送 毎週土曜夜10時4分より28分間


両親がクリスチャンで祖父は牧師でした。幼児洗礼を受けて、信仰告白は中学3年生の時です。
30歳で東京神学大学に入ったのですが、それまでは10年間システム開発の仕事をしていました。
私は牧師を目指していたわけではなく、仕事がとても楽しかったので、ビジネスの世界で生きていくんだと思っていました。

実は21歳の時結婚しましたが、その時に祖父母が「献身しないか」と声をかけてくれていたんです。でもその時は断わり、それから約10年後、仕事で昇格の推薦をしていただいたんですが、なぜか社長だけが「佐々木はまだだ」と。頑張って成果も上げているのに、納得がいかなかった。しかしその当時、創世記を聖書勉強会で学んでいて、いくらアブラハムが自分の考えで歩んでも、神は必ずアブラハムのために備えている道に戻すんですよね。もしかしてこれは、牧師の道へ進みなさいと神様がおっしゃっているのかなと思いました。

―全く新しいゼロからのスタートですよね。

はい。ただ私は、きっとこの道はワクワクするような歩みになると確信がありました。

―どうしてですか?!

創世記17章1節の神様がアブラハムに語るところですが、新共同訳は「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」となっています。しかし、英語の翻訳だと、「わたしに従って歩み」が「私の前を歩み」となっているものが多いんです。神様の後を従っていくというのは分かるんですが、神様を背にして自分が前を歩くっていうのは、今までの自分の信仰理解にはなかったことです。神様は、こんな不思議なことをおっしゃるんだと思い、ご自分の前でその歩みをさせる神様ってなんて魅力的なんだろうと思いました。一緒にワクワクした人生を歩みたい、いや歩めると。

―御言葉が心に届いたんですね。

でも実はどうにも決心できずにいたんです。
ある時、教会学校で子どもたちに紙芝居を読んでいる中で、ペテロが主イエスに呼ばれて召される時のみ言葉が、自分への呼びかけとして聞こえたんです。

「イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。』そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」(ルカ5:10~11)

ペテロは今の今まで漁師として働いていたのに、イエスに呼ばれると、舟を陸にあげて全てを捨ててイエスに従って行ってしまうんですね。「あ、これでいいんだ」と思ったんです。主イエスから呼びかけられただけなんだけれど、でももうついて行っていいんだと、その紙芝居を読みながら決心が与えられたんです。主イエスのなさることが力強かったからです。
その道を行かざるを得ない、主イエスを信じて歩むことしか出来ない…そのように、主イエスがなさった。そう思っています。

神学校に入ってからも同じです。
私が非常に悩まされるのは、自分の罪です。罪を持ちながら主イエスに従うことは苦しい。自分の罪との戦いの大変さから、早く天国へ行けたらと思うほどでした。しかし、聖書の言葉が私を解放する出来事を経験してきました。
ヨハネによる福音書では、イエスは「成し遂げられた」もしくは「終わった」と訳される言葉を言って息を引き取られるのですが、こんな人生嫌だ、もう死にたいと思うような悲しい歩みは、主イエスが十字架の上で「終わった」と宣言して下さっている!
その時、罪にばかり目を注いで苦しみ続ける人生は終わっていると気付かされたんです。

主イエスを信じて主イエスにすべてを任せたクリスチャンの歩みは、ただ苦しみ続けるのではなくて、あの墓から出てこられた主イエスと一緒に新しい自分を生きる、主イエスと共に活き活きと歩み続ける、そういう人生がもう始まっているんです。
ただ罪に苦しむ歩みは終わりました。

(文責・月刊誌編集部)