番組記事「エホバの証人脱会者の証言」

「自分を取り戻したいと…」K.Hさん(自営業男性)

友人の勧めで研究を始め、最初は相当抵抗があったのですが、やがて巧みなマインドコントロールの中に入ってしまいました。

来る日も来る日もありのままでいられない自分と戦いながら、思いをたくさん書き付けるようになりました。たとえば手帳にこう書いています。
「聖書が要求したもの以上のものを人々に負わせ、時間を割り当て、報告させ、それを大いに宣伝して終わりが近いことをあおりたてて拡大のみを目指すこと。これはイエスの『わたしはあなた方を自由にする』という精神から程遠いのではないだろうか。」

何か変だ。これが神様が私に与えた人生なのだろうか。

マインドコントロールの中にあっても、神様が与えた本来の自分、生き生きとした心を求める気持ちが時々顔を出し、自分を取り戻したいという気持ちを抑えられず、脱会しました。

こうして普通の生活を始めたのですが、アイデンティティーを失い、次第にエゴが肥大していきました。エホバの証人の言うことが事実でないとしたら事実はどこにあるのかということは考えないように過ごしていました。

こんな無価値な人生はもう終わりにしたいと考えましたが、自殺をする勇気のない私は再び聖書を読み始め、何年ぶりだったか、祈りました。
本当に神様がおられるなら、行くべき道をお示しください。

神様はそれを聞いてくださいました。改めて読む聖書の中のイエス様は、ただエホバのロボットのように忠実なだけの被造物ではありませんでした。このイエス・キリストというお方が私に「あなたはわたしをだれと言うか」と問いかけられていました。私は「あなたこそわたしの救い主です」と告白できたのです。

初めて「わたしとあなた」という人格的なキリストとの出会いを体験したのです。こんなにつまらない人間を神様が愛していてくださることがわかりました。このときの平安と神様の愛に包まれた感動は今も忘れることができません。

「心を失った組織のロボットのように」E.Yさん(女性)

エホバの証人と初めて出会ったのは大学四年生の時でした。初めは自分が決してエホバの証人になるはずはないと考えていましたが、一度関係を持った人を組織的にフォローする体制がとられており、断りきれない状態が続きました。

自分の考えを述べても彼らの心には伝わらず、抵抗する力を失ったような形で次第に彼らのペースに乗せられていき、生活がだんだんエホバの証人にコントロールされていくようになりました。

洗礼を受けると、疑問を持つことをやめて積極的に取り組むことで、周りの人からも認められ、達成感を生きがいとする模範的なエホバの証人に自らを作り変えてしまったように思います。

心を失った組織のロボットのように活動している私を見て、兄は救出カウンセラーをしていたジャン・ドーゲン宣教師に連絡を取り、家族は私のためにあらゆる犠牲を払って救出に取り組んでくれたのです。

家族や牧師こそサタンに支配されているとしかとらえることのできなかった私にドーゲン先生は、その教理の矛盾、聖書すら書き換えるという恐ろしさ、また本当の救いや信仰がどのようなものであるかを聖書から一つ一つ明らかにしてくださいました。

話し合いの中で、神様が直接、私の心に語りかけてくださり、自分こそ神様を信じている者だと思っていた私が、実はキリストを否定し迫害する者だったということをはっきりと示されました。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」(ヨハネ福音書10章27節)

イエス様が私に対して「わたしの羊」と言っておられる。羊はイエス様の声を聞き分け、イエス様についていく。私自身がキリストのものとされたということを、その中ではっきりと感じることができました。

「主よ、私はどこへ行けばよいのでしょう」H.Sさん(主婦)

1976年にエホバの証人のバプテスマを受けました。当時、世の中で悪が行われているのを見て、神がおられるならなぜ許しておられるのか考えていました。そこへエホバの証人が来て「聖書の真理がわかります」言われ、すぐに集会に出ました。集まっている人たちを見て、世の中にこんなに純粋に聖書を読んで生活している人たちがいるんだ、これこそ聖い組織だと思ってしまいました

その時8ヶ月だった子どもが集会中じっとしていないので訓練するようにと強く教えられました。集会場のトイレに鞭があり、子どもが騒ぐと口をふさいでトイレに連れて行き鞭をしなければなりませんでした。「神は本当にこんなに厳しいことを要求しているのだろうか」ととても苦しみました。

家事と子育てと奉仕を行うために苦闘し、でも年度末に長老から「時間の要求が満たされていませんね」と言われ、神経も体もへとへとに疲れ、1990年頃から原因不明の病気で寝たきりになってしまいました。しかし集会だけは出席していました。ここを離れたら滅ぼされると教えられていたからです。

ある時、息子が「ものみの搭は聖書にかかれていない輸血拒否という教理によって神の名を冒涜している」と言ってきました。息子はさらに数冊本を勧めてくれ、本の後ろにある「エホバの証人救済対策本部」とか「被害者全国集会」という文字を見て、これは大変なことになっていると思いました。そして思わず「エホバの証人が間違いなら、主よ、私はいったいどこへ行けばよいのでしょうか」と祈っていました

息子は「エホバの証人問題と取り組んでいる教会に行けば」と言ってくれ、恐る恐る出かけていきました。今まで話すこともできなかったエホバの証人内部のいろいろな出来事を吐き出すことができ、皆さんが真剣に聞いてくれました。

その後、息子の行っている教会の牧師に「イエスを救い主と信じますか」と質問され、使徒4章12節「天の下でこの御名のほかにわたしたちが救われるべき名は人に与えられていないからです」という聖句が心に思い浮かび、これはキリストのことだと確信することができ、「はい、信じます」と答えて、バプテスマを受け、心の中にキリストを迎え入れました。
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