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リスナーの皆さまからのご感想


「罪と向き合いながらのお話に共感し」FEBCアーカイブス「今日を生きる絆を紡いで―ホームレス支援の現場から」(H様)

9/11放送のFEBCアーカイブス「今日を生きる絆をつむいで―ホームレス支援の現場から」奥田知志先生のお話を聴かせていただきました。
とても深く考えさせられました。わたしも、人間に行えることには限界があり、善いことをしているつもりでも、ボンヘッファーの言う通り、悪と悪の選択だと思います。そういう自分でありながら、へりくだりの中で罪と向き合いながらホームレスの支援をしておられる奥田先生の信仰のお話に自分もいつしか共感して番組は終わりました。

わたしは去年からfebcを聴き始めたばかりなので、再放送でも十分お勉強させていただいています。
どうぞ、これからも善い番組をお聞かせください。毎日、楽しみに聴いております。

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「小池先生の『いてくれてありがとう』を読みたくて」御足の跡を(くぅ。様)

こんにちは。いつも感謝して聴いております。
大好きな小池先生の放送を聴いて、「いてくれてありがとう」を読みたくて、本屋さんに行きましたが、なく、予約して、今日やっと手に入り、一気に読みました。ありがとうございます😊
今、老人ホームの看護師として仕事してます。読み終わり、なぜか涙がでました。皆さまもぜひ読んでほしいと思いました。

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「FEBCが、闘病中の父の伴走者と…」FEBCネットラジオ(MIZUPA様)

本日、ようやく維持会員としての献金手続きをすることができました。
この度、会員として申し込ませて頂いたのは、私ではなく、私の父です。
父は1939年生まれの80歳。
神経難病を患い、5年ほど前から、動くことも、話すことも、食べることもできません。
ですが、認知機能は保たれており、毎日FEBC 放送を聞くことが日々の唯一の楽しみと言っても過言ではありません。
この度の献金も、父の意志です。

実は父は、今から60年近く前、交通事故で入院中に福音放送(おそらくルーテルアワー?)を聞いてキリストを信じました。
信仰の初めと、人生の終盤において、キリスト教放送を聞き、養われ、慰められていること、不思議に思いながら心から感謝しています。

厳しい闘病生活です。
このような状態で生きている意味や価値は何だろう、と父自身も、父をみる多くの方たちも考えてしまうと思います。
しかし、その具体的な答えはすぐにはわからなくても、「意味はあり、価値もある」ということをみ言葉から確信できることは幸いです。
「命は神さまのものだよ」とは父がよく語っていた言葉です。
命のことをあれこれ悩むのではなく、今与えられているいのちを精一杯生き切るのみだと父も私も感じています。
FEBC放送が、そんな父のよき伴走者となってくれていること、主とFEBCスタッフの皆様に心から感謝です。
父の命の最後の日まで放送を聞かせて頂きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします(*^^*)

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「なるほど、とても良い意訳だ」FEBC TODAY(ふく様)

今週の讃美歌は、「いさおなき我を」が「あるがまま我を」に意訳し直されてるわけですね。
いさおってなんだろうなぁと思ってました。父は昭和1桁の人間なので祈りのなかに、「なんのいさおしもない私たちですが」とのことばが出てくることがあります。調べると、いさおとは手柄を立てた名誉、とありました。なるほど、功績の功ですものね。
手柄のないわたし、とあるがままのわたし、は意味は違うけれども、虚栄をはるのは自分のありのままであることを否定したい自我ですものね。とても良い意訳だと思いました。
わたしの属する教会では違う賛美歌を使っていますので、これからもたくさんの賛美歌を紹介下さり賛美させていただきたいですね!

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「訳の違う言葉は理解を深めますね」ふらっとトーク(ふく様)

9/8 ふらっとトークの前のケセン語訳では銀貨が「いづまんえん」になってて笑えましたがわかりやすかったです。
使徒信条の「かしこより来たりて」が、高知旭教会では「そこから来て」と変わってるのを聞いたときには、かしこってそこなのか!と思いました。
訳の違う言葉は理解を深めますね。どれがいいとか好きとかあってもいいとは思いますが、賛美歌21や教会礼拝賛美歌は言葉に重みが無いとか批判を聞くと、悲しくなりますね。
これからもいろんな聖書や賛美歌に親しませていただきたいと思いました。

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「心を病む周りの方々の慰めになると…」コーヒーブレイク・インタビュー(ふく様)

9/5濱田秀伯さんのお話は興味深いですね。
人間にしかないうつ病と統合失調症。そしてどんな人にも一定の割合でいることは人間の人間であるなにかに関係性があるのかもしれないとのお考えは納得できます。

私の母は自分はキリストで某牧師先生が父なる神様だと言い始めてから47年間、精神病院暮らしです。
私の弟はUFOが上から自分を見ている、近所の家からみんなが自分の悪口を言っている、と言ってましたがだいぶ落ち着いてきていまはグループホームです。
私の同級生にも・・・と周りに本当に多くの方々を見てきました。
先生のおはなしは周りの人の慰めになるのではないかと思わされました。次回も楽しみにしています。

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「この一言に心が和らぎました」神の御前に立ってー十戒の心(くりこ様)

8/20のメッセージ、後半を繰り返しお聞きしました。
「信じて祈ったらこれだけの恵みが与えられた。」私達の教会でも時々、証でされます。それは本当に嬉しいこと、感謝なこと…。
「でも、その裏返しは成り立ちません、与えられない人は祈りが足りない、ということにはならない。」と。この一言に心が和らぎました。

いつも、神様は愛である…、と信じ続けて祈っていきたい。思いがけない状況でも恵みを与え続けてくださるお方。

「恵みを与えられるにふさわしいふさわしさは私達の内に無い、私達の信仰が足りてるからこれだけふさわしい恵みが与えられてるのではない。私の内に救われるふさわしさは無い。主に愛されてるこの状態、この恵みはただ、主が与えてくださったものであって、私が得たものでない。」

アーメンです。度々高慢になります。この事をいつも思い起こしたく思いました。

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「コロナの今だからこそ強く響いて…」FEBC特別番組「時のしるし」を求めて第三回 「すさみ」の中で見出す神への道―公開ミサ再開に向けての取り組みからの識別(H様)

ありがとうございます!病に苦しむ人々に深く触れてゆくイエス様の憐れみの視線、生き方
これこそがクリスチャンの姿勢である、というお話しは、コロナの今だからこそ、さらに強く響いてくるものでした。
神父さまなお一層、苦しんでいる人々に開かれてゆく教会へと お力を尽くされますように。お祈りさせていただきます。

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