旧約聖書のこころ第1回

1 人間を「形づくった」神 動詞ヤーツァル
創世記2:7


聴取期限4/16
(約22分)

 

聖書解説

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今回のまとめ

イェツェール:「形づくる」という動詞ヤーツァルの名詞形で、「つくられた形・姿」の他に、「つくり手のイメージ」の意味がある。
・詩編103篇14節「主はわたしたちのイェツェールを知っている」となり、文脈と語義から「憐れみ深い神は、どのようにつくるか知っていて、人間を弱くはかなくつくりました。」と読める。
・つまり、「絶対的な憐れみに出会わない限り、人間は無価値な存在。しかし、それを自分の力で克服するのではなく、神の憐れみに出会うための開きとして用いるべきなのだ」と聖書は説いている。

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
「憐れみ深い神は、どのようにつくるか知っていて、人間を弱くはかなくつくりました。」
と雨宮神父様が仰っている箇所で、単語の訳し方一つでこんなに意味が深まるのかと驚きでした!

 

ナガクラ
確かに。どんな風に訳すのかで、御言葉の響きが全然違ってくるよね。
でもさ、雨宮神父様の話の深みって、「言葉へのこだわり」だけなのかな?

 

ナカガワ
えーと…実は「なぜ人間を弱くはかなくつくったのか?」っていうのが、正直、まだ納得出来ないんです。
でも、自分が神様のいのちに生かされるには、むしろ、この弱さこそが必要だなーとも思うんです。

 

ナガクラ
そうだね、「弱さ」「欠け」をどう見つめるかって、やっぱりこの信仰で大事なポイントだよね。
でもそれについては、もう既に、雨宮神父様が大切なことを仰ってると思うよ。

 

ナカガワ
あ、「弱さを自分の力で克服するのではなく、絶対的な憐れみに出会うための開きとして用いる」という箇所ですね!
すいません、この言葉、聞き流してました。「弱くても、ありのままでもいいんだよ」って言ってるみたいで…

 

ナガクラ
(かなり違うと思うけどなぁ)
じゃあ、「弱くても、ありのままでもいいんだよ」と、雨宮神父様のメッセージとでは、どう違う?

 

ナカガワ
「ありのままでいい」という言葉には、「本当は強い方が良い」という想いが隠れている気がしますね。
でも、雨宮神父様の方はむしろ、「弱さにこそ道がある」っていう感じです。

 

ナガクラ
うん、そうだね。そして、その「道」がどこに繋がっているか、っていうのが肝心なことなんだろうな。

 

ナカガワ
はい、どこまでも貧しく弱くなられたイエス様のこと、もう少し思いめぐらしてみます。