旧約聖書のこころ第3回

3 人間の罪を「持ち上げ、取り去り、担う」者 動詞ナーサー
創世記4:13

(2「人間の『罪と罰』 名詞アーヴォーン」はこちら>>


聴取期限4/30
(約22分)

 

聖書解説

↑画像クリックで拡大表示します

 

今回のまとめ

ナーサー:「持ち上げる」、「担う」、「取り去る」という意味を持つ動詞。
●イザヤは苦しみを担うことこそが、平和と癒しを実現するための神の意志であると「苦難のしもべ」の預言をした。
●イザヤ書のこの箇所は、通常、主イエスの到来の預言として受け取られる。しかし、むしろこの箇所自体のメッセージは、預言者が自身の経験を通して、「信仰者にとっての苦難」を深く知ったことにある。教会は、その核心を主イエスの御姿に見てきた。

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
イザヤ53章の『苦難のしもべ』の解釈が衝撃でした。これはやっぱりイエス様のことを直接に預言していると思っていたので、「これじゃ、あまりにクール過ぎないか?」って。

 

ナガクラ
確かにね。雨宮神父様の「聖書学者」としての一面がはっきり出ているところかもしれないね。
でも、神父様が、聖書をそうやって「クール」に読もうとするのはどうしてだろう?

 

ナカガワ
聖書をあそこまで分析的に読む意味・・・うーん・・・
何か、聴いているこちらが自分で考えるための素材を示してくれているような・・・。

 

ナガクラ
僕も、たぶんそういうことじゃないかな、と思うんだ。

 

ナカガワ
とすると、雨宮神父様は、「聖書そのものが『自分自身で読むもの』だ」と教えて下さっているわけですね。

 

ナガクラ
そうそうそう!

 

ナカガワ
実は私は、特に旧約に関しては、その中からイエス様の姿を「頑張って探しだそう」としていたんです。

 

ナガクラ
分かるけど・・・
でも、イエス様のお姿ってこっちが「頑張って探しだそう」として見つかるものなのかなぁ?

 

ナカガワ
それが落とし穴だなって、今回感じたんです。聖書それ自体が、私の偏りを教えてくれた気がします。