旧約聖書のこころ第4回

4 人間を造ったことを「後悔した」神 動詞ナーハム
創世記6:5〜8

(3「人間の罪を『持ち上げ、取り去り、担う』者 動詞ナーサー」はこちら>>


聴取期限5/7
(約22分)

 

聖書解説

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今回のまとめ

ナーハム:語根は「深く息をつく」という言葉。「同情する」、「後悔する」、「慰める」などを後に意味する動詞となった。
●イザヤ書にも、神のため息、後悔の姿が描かれる。しかし、神に不可能は無いことからすると、つまり、神の後悔とは、救いのために新たな手段を立案するための一過程である。
●ホセア書には、今までイスラエルの回心を待っていた神が、背いたままのイスラエルを受け入れてしまおうと、考えを変えてしまった事が書かれている。正しさを求める神でありながら、慈しみを求める神。真に十字架を知るためには、この神の葛藤をおぼえる必要がある。

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
神様の後悔について語られてましたが、やっぱり「後悔するぐらいなら、しなければいいのに」とか、「後悔しないようにすればいいのに、神様なんだから」って思っちゃうんですよね。

 

ナガクラ
それは分かるけど、でも、「後悔される神様」って、かなり衝撃的だと思うんだけどなぁ。

 

ナカガワ
確かに・・・うーん私は、まだどこかで、「自分の神様イメージ」にこだわってるんだと思います。

 

ナガクラ
その「自分の持つ神様イメージ」っていうのは、きっと誰にもあるよね。

 

ナカガワ
それを否定されたくない、守りたい・・・。

 

ナガクラ
そうだね。
でも、雨宮神父様の話は、「自分の持つ神様イメージ」の否定というよりも、それを凌駕してるよ、ということかなと思うんだけど。

 

ナカガワ
あぁ、それが、「後悔される神様」の姿か・・・。
前よりちょっとだけ分かった気がします。少なくとも「分かってないことが分かった」というか…。

 

ナガクラ
いいところに気づいたね。
それが、「いつものスタートライン」なんだと思うよ!