5 ハガルの目を「開いた」神 動詞パーカッハ
創世記21:9〜21
(4「人間を造ったことを「後悔した」神 動詞ナーハム」はこちら>>)
聴取期限5/14
(約22分)
●パーカッハ:「開く」という意味の動詞。旧約聖書では約20回つかわれており、1回だけ「耳」に対して使われているが、残りの用例は全て「目」に用いられている。
●イザヤ書42節には、人間には神の介入によって働く、別の「耳目」があると繰り返し語られる。
●人間の感情や思いの中だけで生きているならば、アブラハムとその正妻サラ、側室ハガルの間にうまれた様な問題は、単に苦しみ、泣くということだけで終わってしまう。しかし、神に向けて泣く時には、神が介入し、全く新たな現実を造り出し、それに「耳目」を気付かさせてくださる。
ナカガワ●
このアブラハムとサラとハガルの話って、「昼ドラ」みたいですよね。
ナガクラ●
確かに。「実話系」の雑誌とかにも、いつでもありそうだね。
ナカガワ●
情が絡むだけに、話がややこしくなりますしね。
ナガクラ●
でも、この話って「愛憎劇」っていう一面もあるけど、それだけなのかな?
ナカガワ●
日本人って、例えば演歌みたいに、「感情を吐き出すこと」に心が向かうというか…そうやって本当の気持ちを美化してる気がするんですよ。
ナガクラ●
うーん、もうちょっと教えてよ。
ナカガワ●
自分の中に、本当はもっとドロドロしたものがあるんだけど、それを上手く包んで、「辛いけど、涙こらえて生きていきます、私」みたいな。
ナガクラ●
あー、確かにそういう歌詞って多いかもしれないね。
ナカガワ●
でも、それって関心が「人」に向かってるように思うんです。
ナガクラ●
本当の気持ちを抑えて、人に受け入れてもらえるようにしてる、ってことか。
ナカガワ●
はい、人・対・人が全てっていうか、「人間の感情が全て」っていうか・・・。
ナガクラ●
そこは、聖書って全然違うんだろうね。極端に言っちゃうと、神・対・人が全てっていうか。
ナカガワ●
自分の思いを、人に聞かせるか、神様に聞かせるか、の違いって、本当に大きいですね!