旧約聖書のこころ第6回

6 「僕ども」は、十二人兄弟で 名詞エヴェド
創世記42:5〜24

(5「ハガルの目を「開いた」神 動詞パーカッハ」はこちら>>


聴取期限5/21
(約22分)

 

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今回のまとめ

エヴェド:仕えるという動詞から派生した名詞。誰に仕えるかによって、翻訳のされ方は様々。
●詩編123篇には、主人の手を見つめるしもべの姿が描かれ、それは神に仕える姿勢と同じであることが示されている。
●創世記42章の用法は謙譲表現にすぎないが、単なる自己卑下ではなく、神の前にへりくだる時に私たちは真の意味での神のしもべとなる。

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
今回も、現代人の自分とはギャップを感じてしまった回でしたね・・・。

 

ナガクラ
まあ、旧約聖書の世界だから、ギャップを感じることは多いよね。今回はどんな?

 

ナカガワ
「主人としもべ」っていう関係って、今は無いじゃないですか。

 

ナガクラ
確かにね。奴隷制って、確かに「身近」ではないね。

 

ナカガワ
映画とかのイメージしかないんで、「いつもムチで叩かれてる」とか「モノ扱い」とか。

 

ナガクラ
そうなると、聖書で「しもべ」って言われても、あんまり良いイメージがしないね。

 

ナカガワ
そうなんですよ〜。

 

ナガクラ
でも、それだけ、なのかな?

 

ナカガワ
うーん・・・あ、この詩編123の「憐れみ」っていうことか?

 

ナガクラ
そうだね。
それと、この「主人としもべ」って、何を例えていると思う?

 

ナカガワ
神様と人間の関係・・・ですか?

 

ナガクラ
だと思う。現代って平等が原則だから、「主人としもべ」って言われてもピンとこないのは確かだけど、でも僕達はイエス様のことを「主」って呼んでるわけじゃない。

 


ナカガワ
確かに、そうですね。「イエス様は、私のご主人様」か。

 

ナガクラ
そう、そうなんだよ。

 


ナカガワ
そっか・・・その「ご主人様」が何をしてくださったか、ここをスタートにしないといけないんですね。