旧約聖書のこころ第7回

7 あなたを「遣わす」 動詞シャーラハ
出エジプト3:11〜15

(6「『僕ども』は、十二人兄弟で 名詞エヴェド」はこちら>>


聴取期限5/28
(約22分)

 

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今回のまとめ

シャーラハ:聖書で846回も用いられ、頻繁に使われている動詞。日本語では、「遣わす」に当たる言葉。
●「わたしは必ず共にいる」という神の言葉により、モーセは神の召命を受け入れ、神の呼び名を問うた。
●神は名を明かすことは拒絶し、「わたしはある」と答えた。しかし、この返答の中に神の本質が在る。

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
改めて思ったんですが、シナイ山での神様とモーセとの対話って、全然かみ合ってないんですよね。

 

ナガクラ
そうだね、モーセの「あなたの名前を教えて下さい」っていう問いには、神様は答えてないね。

 

ナカガワ
でも今回、「そこがいいなぁ」と思ったんです。

 

ナガクラ
ん?どういうこと???

 

ナカガワ
ここで、「わたしはある。わたしはあるという者だ」って神様がいわば自己紹介なさるわけですけど、これって、「私はこういう存在だ!」って存在を誇示するかのように仰ったのかなって、思ってたんです。

 

ナガクラ
うん、きっとそうやって受け止めている方が多いと思うよね、この箇所。

 

ナカガワ
でも、雨宮神父様から、直訳だと「私は成るであろうところの者に成るであろう」って教えて頂いて、そうなると、僕の勝手な理解ですけど、神様って人間による定義を越えてて、それでも人間のためにおられる御方なんだなぁって。

 

ナガクラ
うーん、そうだね!
「ある」っていう言葉の静的なイメージと、「成る」っていう動的なイメージの違いは、かなり大きいよね。

 

ナカガワ
はい、だから、何と言うか「神様の覚悟の言葉」なのかな・・・と。
天に座しておられるままでなくて、人のために降ってこられる御方というか・・・。

 

ナガクラ
おおお、きっとそうだね!
だとしたら、この『わたしはある』っていう言葉、本当の意味で、神様はモーセにお答えになったのかもしれないね。