旧約聖書のこころ第8回

8 国中が血に浸った
出エジプト7:14〜24

(7「あなたを『遣わす』 動詞シャーラハ」はこちら>>


聴取期限6/4
(約22分)

 

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今回のまとめ

●出エジプト記7章17、21節と19節には、記述の食い違いが存在し、異なる2つの資料によってこの箇所が編纂されたという事がわかる。
●2つの資料のうち、「祭司資料」がその一つである(19節、20節の最初、21節後半部、22節)。この文章の関心は、「神の言葉と魔術師の秘術のどちらが強いのか?」にある。
●祭司資料はバビロン捕囚中に書かれたもの。ファラオのようにこころをかたくなにせず、魔術ではなく、神の言葉に信頼することによってこそ、捕囚からの逃れの道が与えられるという事を民に語りかけている。

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
正直、今回はあんまり・・・。

 

ナガクラ
どこらへんが「あんまり」?

 

ナカガワ
神様がモーセを通して起こす奇跡について、資料が実は2つあるんだ、というお話なんですが・・・。

 

ナガクラ
「それが何なの?」っていう感じ?

 

 

ナカガワ
そうは言いませんけど・・・まあそうですね。

 

ナガクラ
確かにね。
資料の違いなんて、僕も初めて知ったよ。

 

ナカガワ
そもそも、奇跡っていうのが、あんまりピンとこないんですよね。リアリティーが無いっていうか。

 

ナガクラ
うんうん。
でも、ここでいうと、過ぎ越しの出来事とか、紅海を渡った出来事とか、そういうのは「信仰的に」僕らは受け入れるわけじゃない。

 

ナカガワ
・・・確かに。過ぎ越しの出来事とかと比べちゃって、それまでの蛙とか虻とか「まあ、奇跡だからそういうこともあるか」って思ってました。
 

ナガクラ
起こった現象に注目しちゃうと、「本当に有ったのか、無かったのか」とか「この奇跡は大したことない」って思っちゃうけど、見るべきところって、そうじゃないんだろうね。

 

ナカガワ
やっぱり、「何が」の向こうにある、「誰が」っていうところなんでしょうか。