旧約聖書のこころ第41回

41「執り成しをし」た~動詞パーガー~
イザヤ52:13~53:12

(40「『成し遂げられる』~動詞ツァーラハ~」はこちら>>


聴取期限1/21
(約22分)

 

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今回のまとめ

●前回、前々回に引き続き、今回は苦難のしもべの預言箇所の最後の部分を読む。
パーガー:旧約聖書全体で46回用いられ、「出会う」「とりなす」などの意味を持つ
●第二イザヤはイエスの存在を具体的に考えながら歌ったというよりは、苦しみを担わねばならない自分のために歌ったのではないか?

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
やっぱり一番気になるのは、「イザヤが直接イエスの預言をしたわけではなかったのではないか?」というところですかね。

 

ナガクラ
確かに、これはインパクトのある話だよねえ。

 

ナカガワ
「人の祈りを超えて、イエスが来てくださった」とは神父さまも言われていますけれど、まるで、今までの聖書解釈を引っくり返してしまうようなところも感じます…

 

ナガクラ
でも、単に引っくり返すわけではないよね。
「イザヤは、苦しみを担わねばならない自分のために歌ったのではないか?」って新しい問いがあって。

 

ナカガワ
そうですね…
そういう所では、自分は、このイザヤの預言を「ああ、キリストの預言ね」で終えられなくなったと思います。

 

ナガクラ
…どういうこと?

 

ナカガワ
イザヤの様に、自分が苦しみを担う意味、ということも考えざるを得なくなったというか。
自分はどうなのか?と問われはじめたんですよね…

 

ナガクラ
新しく聖書を読むって、そういう所があると思うな。
言うなれば、自分のありさまを問い続ける事、そのものなんだろうね。