旧約聖書のこころ第51回

51「神の経綸」~名詞エーツァー~
ヨブ38:1~39:30

(50「『はしため』~名詞アーマー~」はこちら>>


聴取期限4/1
(約22分)

 

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今回のまとめ

●ヨブの問いに直接的には答えない神。しかし、そこでヨブが納得するのは何故か。
「エーツァー」:「(人間の)計画」、「(神の)経綸」などの意味を表す。
●自分の歩みの中にも神の「エーツァー」があるはずとヨブは信じたのではないか?

 

ナガクラさんとナカガワくん

ナカガワ
「経綸」ってあまり聞かない言葉ですよね。
神様が全てを支配されてご自身の計画を進められている、という意味だと思うんですが…。

 

ナガクラ
この「経綸」が示された後、ヨブは悔い改めてひれ伏したってことになってるけど、どう思う?

 

ナカガワ
もともとヨブだって、神様がそういうとてつもない存在だって、知ってたと思うんですけどね。

 

ナガクラ
そうだね。だから「今更?」って感じもあるよね。
でも、そういう「とてつもなさ」だけで、ヨブはひれ伏したのかなぁ?

 

ナカガワ
それは…うーん…雨宮神父が言われていた「自分の歩みの中にも神の『エーツァー』が」ってところに何かありそうな気がします。

 

ナガクラ
その「何かありそう」ってところ、もうちょっと教えてよ。

 

ナカガワ
えーと…ヨブは、自分の人生自体も、この「経綸」の一部なんだと思い知ったんじゃないかって。
…上手く言えないんですけど、そこで「委ねよう」という思いになった気がするんですよね。

 

ナガクラ
そうだね…。
だとすれば僕達も、この普通の暮らしの中に、ヨブと同じものを見つけていかなくちゃいけないのかもねえ。

 

ナカガワ
自分の人生も、神様の御手の中にある…。
分かっているようで分かっていないなあ…ってまた思わされてます。