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| 信じ方が足りないせいでしょうか。 | |
自分は最近教会に通い始めたばかりの者です。キリスト教についてはまだほとんど何も知りません。聖書は新約のみ、高校時代に読んだことがありますが、成人してからは旅先のホテルに備え付けのものをたまに拾い読みしたことがあるくらい。『熟読』『精読』とは言えない読み方で、信仰に繋がることはありませんでした。 しかし近年になって、自分の人生に様々な問題が噴出してきました。仕事のこと、家庭のこと等々。それは根底に『生き方の問題』『考え方の問題』があって表面化したものなのだと自分では思っています。今も様々な事に苛まれています。生きていることが苦しいです。自分自身が憎らしく、それと同様に他人にも心の中で憎しみの目を向けてしまいます。 こんな自分ですが、最近はFEBCのインターネット放送や、教会での牧師先生のお話を聴く度に、何だか心が安らぐのを感じます。そこで、もっと深く神様や主イエス、聖書のことを知りたいと思い、通信講座を申し込みました。 この度、ヨハネによる福音書第一章から第三章までを読みました。正直、まだすんなりと心に入ってきません。何度も読み返してみたのですが…。心根が曲がっているせいでしょうか。信じ方が足りないせいでしょうか。 しかし同時に、更に次の章を読んでみたいと思いました。第四章以降のガイドをお願い申し上げます。 | ||
男性 | ||
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| 第一の仕事は祈ること | |
ガイドより「『貧しい』とは、イエス・キリストなしに生きることです。キリストなしに貧しくあるのは、絶望とつぶやきを生み」とは、まさにわたしのことです。」はやく「イエス・キリストにご占領頂き」真の自由を得られる日がきますように、と祈っております。 ガイドの最後に「自分の第一の仕事は祈ること」とお書きになっておられるのにはっとしました。私は、仕事ができないことに負い目を感じておりましたが、立派な仕事を与えられているんだと感じました。 | ||
男性 | ||
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| 聖書の登場人物は私たちの姿なんだな | |
マタイ福音書も後半に入り、一章からのガイドを読み直していたら、二章のガイドの最後に「自分のエゴを貫くために残虐極まりない殺害を当然のこととして平然と行ったヘロデ王こそ、わたし自身です」とあり、ハッとしました。 聖書に登場するイエス様に反対する者たちは、私たち人間そのものの姿なんだなと。民衆に負けて死刑を決めたピラト然り、三度もイエス様を否認したペトロや、銀貨三十枚でイエス様を売ったユダ、ファリサイ派や律法学者も、私たちの姿なんだなと、今さら知りました。 今回の二十章、ヤコブとヨハネの母の願いもそうだと思います。「王座にお着きになるとき、一人は右に、一人は左に座れるとおっしゃってください。」子どもかわいさゆえか、はたまた子どもを高い地位に着かせ安穏に暮らしていこうという考えか。もしかするとこの母親も本人たちも、自分は誰よりもイエス様を理解し、信頼されている、誰よりもその教えを守っていると思い、そのような者だからイエス様の両隣に座るにふさわしい条件を満たしていると思っているのかもしれません。 この三人は現代に生きる私たちにも当てはまります。イエス様以外のすべての登場人物は、私たちの姿に当てはまると思います。傲慢な人、癒しを求める人、さげすむ人、悲しみや苦しみを抱えている人。やっと聖書に出てくる人を自分の姿に置き換えて、罪や、またその人に対するイエス様の言葉はどういうことなのかがわかってきたような気がします。 実はこの半月ほど、放送を聞いていなかった時期がありました。その時期は明らかに気持ちの変化がありました。教会に行っていないし、聖書も毎日読んでいるわけじゃないし、苦しい時の神頼み的な生活をしている者です。そんな私でも、放送を聞いていなかった時期は何か重たいものが心にあるようでした。 再び聞き始めると、様々な問題は抱えていますが、それでも歩んでいける気がするのです。これがもしかするとイエス様がおっしゃった「休ませてあげよう」「安心して行きなさい」が現実に起きているのかなと思う毎日です。 | ||
女性 | ||
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