5月30日更新 |
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| 永遠の命…確信持てなくなることが | |
主の御名をあがめます。 | ||
女性 | ||
5月24日更新 |
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| 「わたしもあなたを罪に定めない」 | |
「私も貴女を罪に定めない」イエス様のこの言葉に繰り返し、幾度も慰められました。許されない自分、罪にまみれた自分、忌み嫌われる自分。言い訳もなにもない、悪いのはみんな自分だから、今のこの有様もみんな自分の蒔いた種から出たもの。せめて誰も私を知らない場所で一からやり直して…。 そんな繰り返しが私の五十年でした。この言葉を読んだ時、私のことを許して、優しくしてくれる人がいるという感激に涙が止まりませんでした。その人は今、この時代に聖書を開く一人ひとりに会ってくださるイエス様でした。「あなたはもうその人を見ている。」その言葉のとおりなのだと信じています。 | ||
男性 | ||
5月23日更新 |
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| どうせ死んだら「無」に | |
もしキリスト教がただ神に「すがっているだけ」で良いものなら、わたしはクリスチャンになりたいのですが、クリスチャンになると何かを無理やりにしなければならなくなるので、わたしは洗礼を絶対に受けたくないのです。 | ||
男性 | ||
5月22日更新 |
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| つかんだものは藁でした。 | |
「キリストにはかえられません、世の宝もまた富も、このおかたがわたしに代わって死んだゆえです。世の楽しみよ、去れ、世のほまれよ、行け、キリストにはかえられません、世のなにものも。」この歌が何の疑いもなく、自分の本当の気持ちになったら、私は救われているでしょう。 信仰とは何でしょう。未だ見もしないものを信ずることですか。それだったら、なにも遠く離れた異境の神を信じなくとも、近くの氏神様でいいのではないでしょうか。神様の存在は否定できません。生かされていることも信じます。でも、どうしても「このお方がわたしに代わって死んだ」ことは信じられません。 教会は一日欠席しただけで続けて行っています。FEBCは相変わらず毎日聞いています。でも、聖書はもう十日以上も開いていません。キリストが十字架にかけられ三日後によみがえられたお話にうんざりしてきたからです。 半年前、藁をもつかむ思いで聖書を開き、キリストの着物のはしをつかもうと必死になっていましたが、つかんだものは藁でした。私の一生は逃げ場所を探す旅でした。広い門を探しては旅を続け、難問があると安易な方向へと逃げ回り、また広い門はないかと探す旅です。今回もかつてない挫折にぶち当たり、逃げ場所がどこかにないかと探し求めていたところ、FEBCにたまたま遭遇しました。当時は、広い門に見えましたが、いざ門をくぐろうとすると、十字架という大きな試練が待ち構えていました。今はただ、シッポをまるめて門の横を逃げさるのみです。 | ||
男性 | ||
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