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| 「神様の御心が成りますように」という祈り |
マタイ7章7〜8節。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」 この聖句を心から信じるために十年近くかかってしまいました。なぜなら「結局のところ、神の御心だけが実現するのだから、私がいくら“あれが欲しい!これが欲しい!”と神に訴えても無駄だ」と思っていたからです。だから、私の祈りはいつも「神の御心が成りますように」という祈りでした。これは優等生的な祈りに聞こえますが、実は「神様、あなたは私の要求なんて無視するつもりなんでしょう? 勝手にすれば!」という諦めと怒りに満ちた叫びでした。 8章3節。「イエスは手を伸ばして、彼にさわり、『わたしの心だ。きよくなれ。』と言われた。すると、すぐに彼の重い皮膚病はきよめられた。」イエス様は、澄ました顔をして簡単にサラッと癒してしまわれたのだ、と今まで思っていたのですが、同じ箇所を主人に英語で読んでもらったら「癒してあげたい!」というイエス様の熱意を感じました。イエス様は私のことも「癒してあげたい!」と思って下さっているんだな〜と気付かされました。これからは遠慮なく「癒して下さい!」と祈ろうと思います。 | |
女性 | |
7月24日更新 |
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| 「励ましも説教も、もうたくさん」 |
私は41歳男性のクリスチャンです。洗礼を受けて五年目になります。 最近、寂しさと虚しさから「生きていても仕方がない」と思うことがあります。特に「死にたい」と思うわけではないのです。仕事など何かに熱中している時は、それに一生懸命取り組んでいるのですが、ふと一息ついて一人になった時、そう思うのです。 自殺は罪だとわかっています。しかし、祈るのも疲れてしまった日が度々あります。御言葉の励ましを聞いたり、「信仰は忍耐」と思ったりするのですが、自分なりに五年間頑張ってきたつもりなので、聞けば聞くほどかえって「励ましも説教も、もうたくさんだ」と思ってしまいます。なんとなくもう疲れてしまったというのが本当の気持ちです。 信仰を捨てても、この虚しさは変わらないだろうし、かえって頼るべきものが何もなくなり、ダメになってしまうとわかっていますから信仰を捨てることもできません。 ああ主よ! | |
男性 | |
7月19日更新 |
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| 「イエス様が本気で…」 |
ティールームの名前がぴったりな、本当にリラックスして聖書を開く時間が持てることに、心から感謝しているこの頃です。教会の人間関係に疲れ果て、軽くですが、うつ状態になってしまい、もう二度と教会に行くものか!そんな思いでいたときに、藁をもつかむ思いで、この講座に申し込みました。本当は、聖書を初めて読む方への尊いご奉仕なのかも…私のような者がずうずうしく受講しちゃっていいのかしら…。そんな思いを抱きながら、でした。 でも、ゆっくりゆっくり、ヨハネの福音書を、何度も何度も読んでいるうちに、わだかまった心がすうっと解けていくのを感じました。 神様が私を知っていてくださる。ニコデモの箇所のガイドに「主イエスは、ただおひとり仙人の様に教えを説かれるのではなく、私たちひとりひとりの課題に本気で取り組んで下さる方」と書いてありました。誰も私の気持ちなんてわかってくれない。私ばっかり、ひどい!そんな思いでいましたが、イエス様が、本気で私の悩み、苦しみに取り組んで下さるのですね。少し、トンネルの出口が見えてきたような気がしました。 | |
女性 | |
7月16日更新 |
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| 「最後の一歩が踏み出せずにいます」 |
はじめまして。だれにも相談できない信仰上の悩みをこちらにメールさせていただけることを光栄に思います。 さて、わたしは何度もキリスト教に近づき、教会へも足を運んでいるのですが、最後の最後でいつも二の足を踏んでしまい、自分自身を委ねることができません。何も分からない子供のうちから、疑問もないまま洗礼を受け、イエス様を信じられる友人を羨ましく思うこともあります。 絶望の中で、最後にイエス様に出会うという言葉を耳にしたことがありますが、わたしは絶望や失望のときに、かつて一度もイエス様に出会ったことがありません。もっと漠然とした、自分を超えた何かに救われる感覚は体験したことがあるのですが、それがどうしてもイエス様と結びつかないのです。イエス様はおとぎ話にいるような遠い異国の存在なのです。 また、唯一絶対の神様がいらっしゃることは信じられますが、その神様が独り子であらせるイエス様を、人類の罪のあがない、救済のためにおつかわしになった、そして、わたしたちはそのイエス様が十字架上でわたしたちの身代わりとなって命を落とされたと信じるだけで救われるというのがどうも腑に落ちず、キリスト信仰を持つことをためらわせるのです。わたし個人の身代わりにもなってくれたという実感がまるで持てないのです。それなのに、そのように言われるととても違和感を感じてしまいます。 世界には、仏教やヒンズー教など多数の宗教があり、他宗教で素晴らしい御霊をお持ちの方々がたくさんいらっしゃいます。十字架のイエス様を信じることが唯一、天国へ入る道だとするならば、他宗教の偉大な方々はどうなってしまうのでしょうか?そこに抗いがたい矛盾を感じてしまうのです。また、キリスト教がほぼ国教となっている国々が、世界で最も好戦国であるというのも大きな矛盾となっています。 これらの矛盾や疑問を乗り越えて、はたして自分がキリスト教信仰に飛び込めるのか、今も最後の一歩が踏み出せずにいます。一方で、自分の存在の軸となるような生涯の信仰をもつことを、とても求めているのです。 | |
女性 | |
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