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| これは私の姿である |
7章で、神様の裁きに委ね、人を裁かないことは本当に難しいと思いました。私は自分が正しいと思いたい、私が間違っていると認めたくない思いがあります。人を悪者にして満足する汚い気持ちがあります。過去の出来事を思い出して、一人でかっかかっかと怒りに心を満たす時があります。人を裁いても何の祝福もないのに裁いてしまい、私から神様への道を閉ざしてしまいます。主よ、本当の裁き主である、あなた様に全てを委ねられますように…。 7節を初めて読んだ時、「そんな簡単な祈りでいいの?」「でも与えられたことなんかない!」と反感を覚えました。でも、素直に求めればよいのですね。イエス様が与えて下さるものは、私が求めるものではないかもしれませんが、最高のものを与えて下さることを信じます。数年前まで「キリスト教は自分にとって関係ないし、宗教は暗い」と思っていた私が、信仰告白し、洗礼を受けたことが、イエス様からの贈り物ですね。 8章。私たち一人ひとりの救いは「よろしい。清くなれ」とイエス様がおっしゃったからですね。実は重い皮膚病の人の話を他人の話のように読んでいましたが、これは私の姿であると、ガイドを通して気づかせていただきました。自分では変えられないものはたくさんあります。それなのに、何とか自分の力で変えよう、頑張ってコンプレックスを打ち破ろうとする私でございます。不完全な私に「よろしい。清くなれ」と声をかけて下さるイエス様。感謝いたします。 イエス様の救いにその人の状況、身分、性別など、様々な要素は関係ないのですね。唯々、イエス様を信じる。「あの人はあのような態度だから救われない」と私は決めつけてしまうことがあります。神様の選びは誰にもわからないのに、自分が立派な人物であるかのように振る舞ってしまいます。まず、変えられなければならない者は私です。 20節では、イエス様の枕する所を奪っているのは私ではないかと思いました。主にお従いすることが最大の祝福でありながら、従わない。みことばに聴くと申し上げながら、都合のよいみことば探しをする。律法学者や弟子の一人の言動を馬鹿にすることはできません。また、25節で湖の大暴風に戸惑う弟子の姿も私の姿です。イエス様がともにおられながら戸惑い混乱してしまいます。だからこそ、主の憐れみにおすがりして生きたいです。 | |
女性 | |
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| ひとつの風が、私の内に… |
私は今回ニコデモを通して「新しく生まれる」ということがどういうことなのか、もう一度深く考えさせられました。自分の今までのクリスチャン生活に対し警鐘を鳴らす言葉…年数だけは長くてもどこか自分の努力や知識の蓄積に頼り、しかもなお、それに物足りなさを感じる心のうめきが内側にあるのを否定できませんでした。ニコデモも私の性格に似ていて、それだけに親近感のある人物です。 人は知識を持つほどに、ある意味では神様との関係に入りにくくなる場合があるようです。恵みがみえなくなる、また憂いが多くなる、私はこの経験を教会に通いながらももちつづけ、「水と御霊によって生きる」というみ言葉を、どううけとればいいのか、本当のところわかっていなかった、いやわかろうとしていなかった自分を、今回の学びで思い知らされました。ヨハネ一〜三章を、心の目が開かれるように祈りつつ、さながらニコデモの渇きのように何回も何日もかけ、「新生」のもつメッセージを探り続けました。長い時間でした。そして、ひとつの風が私の内に吹きました。 「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(三章八節)本来の私は結局「知らない者」なのだ、ただその風が一方的に恵みを吹かせ、求める私の目を開かせて下さるのだとうなずけたのです。これは言葉ではうまく言い表せません。が、焦り戸惑う私に「安心しなさい。わたしはおまえのところに、もう来ているではないか」という言葉が、まさに神様からの天国への招待状のように私に迫り、ただ感謝と思え、ますますみ言葉に触れていきたいと思いました。 | |
女性 | |
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| 洗礼を受け、そして新しい職場で… |
大変心のこもったメールをいただき、ありがとうございました。約三ヶ月の失業期間を経て、神様に新しい職場を与えられました。入社一週間前に主に守られ、洗礼を受けました。その後、急に忙しくなってしまったから不思議です。 主イエスは誰よりも私たちの必要なものを知っており、私たちに命じ、そこに導いていってくださる。このような深い愛の前で私は胸が一杯になるのです。ただ、現実のなかで立ちすくんでしまいそうになることもあります。 私はずっと営業の仕事をしてきました。新しく与えられた仕事も営業職です。洗礼を受け、キリスト者になっても、営業とし経験をつんできたのでなかなか他の職種に就くのは難しいのです。多かれ、少なかれ数字に追われる仕事です。以前の職場と違い個人ノルマはなく、支店、営業所の売上目標を問われる会社なので、心の余裕は少しはあるのですが、なんかお金にかしずいている気持ちになることもあります。「我らの日用の糧」以上の売上を企業というものは常に求めているわけですから。 ただ、売上をたくさん上げてたくさんの給料をもらいたいというだけの私自身の願望ではなく、神様がご計画に基づいて、この私を導いてくださると信じ、喜んで仕事をしようと思っています。 大住先生がご担当していた番組「十戒のこころ」のなかで、旧約聖書列王記下のナアマンのお話を聴き、考えることはたくさんありました。異邦の地で王様と他の神にかしずかなければならなかったけれど、主のものになったナアマン。私も今は、ナアマンの気持ちです。ただ、はっきりしているのは生涯、主イエスを心の支えとして生きていくということです。神様はその憐れみによって、洗礼という目に見える形でこの愚かな私を教会の一員に加え、召してくださいました。 | |
男性 | |
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