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| ラジオを聴きながらひれ伏して泣きました |
以前、FEBCの放送でゲッセマネの主イエス様の祈りは弟子が後日勝手に付け加えた、と断言しておられる牧師先生の話を聴き、そのことがずっと心にひっかかって、お尋ねさせて頂きました。 一度目のお返事を頂いた時は私の想いに応えて頂けなかったと感じ、同じ問いをぶつけてしまいましたが、真心と祈りのこもった再度のお返事、ありがとうございました。二度目のお便りが来るまで一日一日がとても長く感じられる中で、今学んでいるヨハネ十三〜十五章より、主イエス様のみことばを直接与えられました。 聖書のどの部分が弟子たちの付け加えた言葉か、主イエス様の言葉か?を超えて、主イエス様の十字架の救いの業が成し遂げられている。今、全てのことはわからなくても、助け手なる聖霊様が全てのことを教えて下さる。この確かなみことばがかたくなになっている私の心に温かく注がれ続けました。 このように主によって心が整えられた中、再度お返事を頂き、またちょうどその直後に私の以前のお便りがラジオで読まれました。ずっと以前に送った自分の手紙の内容と今回の問いの返答が“主イエス様は本当に私たちと同じ人間となって、私たちの罪のただ中に来て下さった”という点で一致していました。主イエス様の強い臨在感を覚え、私はラジオを聴きながら震えがとまらず、その場で主の前にひれふして泣きました。主は私のこだわり、問いを知っていてくださった。そして確かに今、FEBCの働きを通して、私にご自身を現して下さったのだと強く感じました。 会社で、家庭で、教会で…いろんな人間関係のただ中で、自分のありのままの、またいろんな人のありのままの姿をまず知ること、その一日一日が主イエス様を知る恵みの道なのではないか。みにくい私を愛し抜いて下さった主イエス様、痛みも苦しみも、悲しみも弱さももって、私たちと同じ人間となられ、ありのままの私を、人を愛し抜いてくださった主イエス様に今回改めて、いや初めて出会わせていただけたように思います。 | |
女性 | |
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| つかもうとしても指の間からするりと |
ヨハネ一章十八節まで読んで、ここから溢れ出す光に圧倒される思いです。どんなに受け入れられなくても、決して薄れることも、揺らぐこともなく、眩しく、力強く輝く光です。福音書記者のヨハネは、その光は恵みと真理とに満ちていて、そのあふれる豊かさの中から、恵みの上に、さらに恵みを受けた、と記していますが、この溢れ出す恵みを味わっていない自分がもどかしいです。一節から十八節の間に、自分の心では処理しきれない、圧倒的な何かを感じるのですが、それをつかもうとしても、指の間からするりと抜けて行ってしまう様な、言葉で表現したくても、言葉が見つからないようなもどかしさです。ヨハネの心からあふれる「恵みの上にさらに恵みを受けた」という感動はいったいどのようなものなのでしょう。十六節のみ言葉に触れるたびに、何かが心の中からあふれてくるような、ヨハネの涙が見えるような思いにとらわれるのです。 | |
女性 | |
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