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| 病に伏しやけになっていた私への問いだった |
闊達なバリバリの若い学生の頃、イエス様はなんでこんなあたり前の、とぼけた(イエス様ごめんなさい)問いをかけたのか、理解に苦しみました。そしていつも読み飛ばしていました。 その数年後、私は難病にかかりました。前途は真っ暗になり、十数年の床につくことになりました。治癒は難しいとお医者様に言われ、私の人生の一番良い時は終わったのだ、と暗いトンネルの先の出口も探す気力を失いました。時折私の口から出るのはイエス様に愚痴るつぶやきだけ。元気だった頃、喜んで毎日聖書を開いて感謝していた自分がうそのように、時折パラパラと期待も持たず開くだけ…。 そんなある時、何気なく読んだこのベトザタの話がこころに止まったのです。そしてなんでイエス様がこんな当たり前ともとれる問いをしたのか、やっとわかりました。これは、病に伏し、やけになっていた私への問いだった。 普通、病人は「よくなりたい!」というもの、そう思われます。しかし、いざ難病で闘病生活が長くなると、希望は萎え、真剣に神に求める思いがなくなり、この男の人のように、信じ求めるかわりに言い訳じみた言葉を発するようになりがちなのが、まさに私でした。だからこそイエス様はあえて「よくなりたいか」と問われたのだ。こころを見透かされ、はっとイエス様の厳粛なまなざしを感じました。「本当に良くなりたいのか、本当にわたしの力を信じ求めているのか。」「私はあなた様のお恵みを、人の勝手な思いで小さく小さく見積もっていました。この男の人と同じでした。ごめんなさい。」 私の病は急性期は過ぎましたが、長く付き合っていかねばならないことに変わりはありません。しかし、神様に希望をもち、これから神様はどんなすばらしいわざを見せてくださるか、期待と恵みを思わされ、治療に向かえるようになりました。「起きて床を上げて歩きなさい。」私を明日へ向けて進ませてくださる、希望のみ言葉です。 | |
女性 | |
| 何かすごく肝心なものが抜けているような気が |
話は変わるのですが、実は主人の勤めている工場が閉鎖されることになってしまいました。会社に残るか独立するか迷っています。家のローンと幼い子供二人をかかえてどうするべきか困っています。毎日祈りの中で神様に「どうするべきでしょうか?私にわかるように神様の導かれる道を教えてください」 と祈っています。神様の示される道を歩みたいのです。どうすれば神様の御心がわかるのでしょうか?聖書を読んでいてもこんな調子で理解不足な私に神様は示してくださるのでしょうか?示してくださった道を私は理解できるのか心配です。 | |
女性 | |
| 「赦す」と「裁く」矛盾していて… |
「深く憐れまれた」という箇所ですが、イエス様に深く憐れんでいただくにはどのような心を持てば良いのでしょうか?ひたすらへりくだって自分を弱いものとするということでしょうか?苦しんでいるものにすべて憐れんでくださるのであれば、この世の苦しみは無くなるのではないかと思います。 | |
女性 | |
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