1月14日更新 |
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| 家族にはわからないように |
初メールです!毎日可能な限り放送を聴くことにしています。もう十年も教会には行けてませんが、家族にはわからないようになんとか番組を聴き続けてきました。以前は聖書も勉強できたのですが、今は難しく、この放送だけが頼りです。スタッフの皆様のためにも続けてお祈りさせていただきます。私が教会に行けなくなったのには、家の反対以外にも理由はあります。しかし神様から離れたいなどと考えたことはありません。特に仕事に関しては、神様なしにここまで来ることは絶対にあり得ないことでしたので、心から毎日感謝しています。今夜も楽しみに聴かせていただきます。私のこともお祈りの中で少しでも覚えていただけたら幸いです。 | |
女性 | |
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| こういうのが“聖霊の働き”? |
二ヶ月ほど前、仕事で疲れ、聖書も開けず、FEBCすらろくに聴けなくなっていた頃、ある方から電話がありました。「うちで家庭集会があるから来てみない?」と。この方は以前働いていた職場の上司で、当時、私はとても生意気だったし、キリスト教に対しても反抗的でした。その方とは退職してからずっと会わずにいたのですが、六年程の時間を経て、わざわざ私を訪ねて来てくださいました。丁度私が聖書をわけもわからず読み始めた頃で、そのことも白状すると、そりゃあびっくりしておられました。この私が聖書を開ける日が来るなんて、以前の私を知っている人ならば誰でも驚くと思います。「一体どうした!?何があった!?」と。そりゃあそうでしょう。誰よりも驚いているのはこの私!なのですから。 初めての集会、少々緊張しましたが、心暖まるにぎやかな集会でした。私は受洗もしていなければ、教会にも行ってない者です。この集会も両親には黙って参加しました。他の皆さんは毎週教会に集い、なんとかやりくりしながら教会活動をされている…。この中途半端な自分をこの先どんなふうにしていけばいいのか?と考え込んでもみましたが、私が考えたところでどうにもならない、私なりの道はきっと開けるだろうし、この意気地なしにもきっと“その時”が巡ってくることを信じようと思いました。神様を信じきれぬ私ではあるけれど、集会に誘ってくださった方と再会できたという現実を思うとき、人間の力ではないものが働いているのを感じないわけにはいきません。こういうのが“聖霊の働き”と思ってよいのでしょうか? その後、牧師先生に本を贈っていただき、とまどいつつも感謝で一杯になりました。この本の中に「起き上がって床を担ぎ、家に帰りなさい」(マタイ九章六節)とあり、こう続きます。「男はずっと床に身を横たえていました。床は彼の前提でした。動かせない現実でした。その男にイエスは命じられたのです。『床を担ぎ、家に帰りなさい』と。床は担げるのです。現実は動かせるのです。起き上がりさえすれば。信仰は、現実をあきらめて受け入れることではありません。現実を自分の足で歩き始めることであります。」このページにある絵が今の私のそのまんまを描いているようで、床に横になっている人の下からイエス様と思われる大きな人物が床ごと持ち上げようとしていて、上から数人、引き上げようとしている人々が表現されています。私も今、何人かの人に祈っていただいているのを感じます。このことがあって、授業中、居眠りをしていた生徒が叩き起こされたようにハッと目を覚ました気分で、聖書を開けるようになりました。 私は家の宗教を守らねばならないという思いもあって、キリスト教の学びをしていることを両親にも姉たちにも言えず生活しています。つまり私は「人々の前でイエスのことを知らないと言ってしまう者」なのです。「思い悩むな」と言われても思い悩んでしまう不信仰な自分を見つめます。「聖霊によって僕を満たしてください」としか祈れないような気持ちです。 | |
女性 | |
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