思い巡らすという生き方

生きるとは、キリスト
小林和夫(日本ホーリネス教団東京聖書学院教会牧師)
2022年1月28日放送「クリスマスの祝福」

FEBC月刊誌2022年1月号記事より

・・・

 人目 にはつかない、一介の女の子にすぎない、このマリアという人に、神様は目を留めなさった。

 そして御使いがマリアに現れ、神様からのメッセージをもってきました。
 その御言葉が、「恵まれた女よ、おめでとう」(ルカ1:28)です。


 さらに御使いは続けます。「主があなたと共におられます」と。主の臨在であります。旧約聖書においては、神様が一緒にいてくださるという自覚と確信そのものが、救いでした。マリアは、人知れず、神を畏れ、神を信ずる信仰の生涯を続けていたんでしょう。だから御使いは、マリアの生涯を言い当てた。「あなたは知られている」と。


 しかし皆さんね、このときの状況を考えてみてください。当のマリアにとっては大変なことですよ。だから随分この人は悩んだ。

「どうして、そんな事があり得ましょうか。」(ルカ1:34)

 恐れと不安と、戸惑いなしには、マリアは御使いのお告げを受けることはできなかったのですね。嫁いでもいないのに身ごもるとはどういうことだ。婚約者のヨセフはどう考えるだろう。いや、モーセの律法では、石で打ち殺されるということをさえ覚悟しなくてはなりません。しかし、マリアのとった基本的な態度が29節の終わりに記されています。

「このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。」(ルカ1:29)

 御言葉を思い巡らす、これはお祈りをすることです。詩編の一編には、「かかる人はエホバの法をよろこびて、昼も夜もこれをおもう」とありますね。神様はこうしろっておっしゃる。でも、自分はそうしたくないんだ。けれども、御言葉は、問いかけてくる。私も、自分の家庭の中に不幸と見える試練が起こってくる度に、神様の御前に座らされる感じをもちます。皆さんね、マリアはただ素直な人だったのではない。優等生じゃないんです。マリアも一人の罪人だ。だから、どんなにその心には葛藤があっただろうと思います。しかし、恐れや戸惑いを超えて、神の御言葉を思い巡らした。幸いな人とはそういう人です。


 そしてついに、マリアは御言葉を引き受けました。 「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」(ルカ1:38)

 実にこのマリアだからこそ、あのイエス様というお子を育てられたと思います。イエス様は、あのゲッセマネにおいて人類を救おうとする時に、どんなに悩み、お祈りをなさったことか。十字架について死なないで済む方法があるなら、その方法を教えてくださいとお祈りなさったんです。けれど「汝のみ旨をなしたまえ」と、十字架へ決意をもって神にお従いしたのが、イエス・キリストです!


「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」とお受けした、このマリアが、イエス・キリストをお預かりしたのです。


 だから、今日、あなたの本当のクリスマスを迎えてほしい。それは、御子イエスがあなたに与えられたからです。この信頼が「恵まれた人」を生むのです。

 (文責・月刊誌編集部)

 


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