
今回の「恵子の郵便ポスト」。
ある方から数年ぶりに頂いたメールをご紹介しています。
お久しぶりです。三年前に初めてメールを送らせていただきました。
あの時は、丁寧なお返事ありがとうございました。 …
あわれみによって今も後も、私は救われていると安心すべきか、
救われていると勝手に思い込んでいただけなのか不安になります。
オンラインの礼拝を聞いていますが、
そんな小さな信仰を主は受け入れてくださるのか疑問がわいてしまいます。
あの時は、丁寧なお返事ありがとうございました。 …
あわれみによって今も後も、私は救われていると安心すべきか、
救われていると勝手に思い込んでいただけなのか不安になります。
オンラインの礼拝を聞いていますが、
そんな小さな信仰を主は受け入れてくださるのか疑問がわいてしまいます。
きっとコロナ渦の中という事もあり、
同じ様な苦しみを抱えた方が
少なからずいらっしゃることを思いました。
いつかは、「私は救われている!」と感動に打ち震えたはずのこころも、
日々の出来事、時に、辛いこと、悲しいことに触れていくにつれ、
段々と過去のものになってゆく。
その不安は、私たち全てのキリスト者にとって
決して特別なものでは無いと感じます。
しかし、です。
たとえ私達がそのような確信を失ったとしても…
今回の「恵子の郵便ポスト」は
ある意味そこから始まるお話だったと思います。
主イエス・キリストは、
迷いにある私達に何を求め、何を語られているのか。
ぜひご一緒に、こころを開いて聞いていきたいと願います。
