
刻々と厳しくなる状況に多くの方が国外脱出をされる中、首都キエフに留まり続けるセルゲイ・ナクール牧師からの報告を今週もお届けします。
破壊された街の中、まさに死と隣り合わせの日々で、ナクール牧師の心に響いているのは、詩編16。
主イエスの受難と死を思い巡らすレントのこの時、どうぞ皆様の日毎の祈りにお覚えください。
私共の主イエスが、この地を憐れみ、ご自身の平和を与えてくださいますように。
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セルゲイ・ナクール牧師(ウクライナの首都キエフの牧師、FEBCウクライナの番組出演者)

「私は、破壊されたスーパーマーケットの前に立っています。
キエフ市民は、次はどの建物が破壊されるかと案じています。
死は、まさに私達の隣りにあります。
私も、『そのような状況でどうしておられるのですか?』と問われます。
私自身、詩編を味わうことがとても重要になっています。
詩編16で、ダビデは聖霊に満たされて次のように詠っています。
『わたしは絶えず主に相対しています。
主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。』(8節)
『あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず…』(10節)
主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。』(8節)
『あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく
あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず…』(10節)
ダビデは死を経験しました。
そして、私も遅かれ早かれ、死を経験するでしょう。全ての人がそうです。
にもかかわらず、どうしてダビデはこの保証・確信を持てたのでしょうか。
どうして、私もこの保証・確信を持っているのでしょうか。
この詩編は主イエスの復活を預言している詩編です。
ダビデは主イエスを望み見たのです。
使徒言行録2章25-32節で使徒ペトロはこの詩編を引用しながら、主イエスが墓穴に収められた後、そこで朽ち果てることなく甦ったことを証ししています。
これがダビデにとっての保証・確信であり、そして私自身にとっての保証・確信なのです。
私達は見るのです。主イエスの復活の日を。
私達は見るのです。私達のこの目で、御復活の主イエスを。
これこそが、このような状況にあっての確かな保証・確信、そして慰めなのです。
たとえ、この破壊された建物のように私の肉体が滅ぼされたとしても、私の愛する救い主イエスが私を甦らせて下さると、私は知っているからです。」
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