2/4 復活への旅路―正教会の聖歌―

復活への旅路―正教会の聖歌―
マリア松島純子(日本正教会大阪ハリストス正教会信徒、正教会聖歌研究者)
2022年2月5日放送「真福九端」

FEBC月刊誌2022年2月号記事より

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 十字架の上と下に小さな横棒がついた正教会の十字架をご覧になったことがありますか?上の棒は主が十字架に架けられたときの罪状書きを、下の横棒は足台を表しますが、下の棒の向かって左、つまり十字架上のイエスから見ると右側が上がっています。これは、ルカ伝が伝える主が十字架に付けられた時の両側に共にかけられた二人の盗賊のうちのひとり、「あなたの国が来るとき、私を思い出してください」(23:42)と言って悔い改めた盗賊を示しているのです。

 この「あなたの国が来るとき、私を思い出してください」という言葉。正教会の礼拝ではこの言葉をとても大切にし、日曜日の聖体礼儀の前半に、マタイ伝の山上の説教「心の貧しき者はさいわいなり」で始まる九つ(他の教派では8つ)の「真のさいわい」の歌とセットで歌います。

 聖体礼儀でこの歌が歌われる時、祭壇のある至聖所と信徒の集う聖所を仕切る「イコノスタスの扉」が開き、左の扉からロウソクに先導された司祭が、豪華に装飾された福音書をかかげて聖所まで出てきて、再びイコノスタスの中央の門をくぐって至聖所の中央にある祭壇に歩いていきます。

 実はこの儀式にはいくつかの歴史的背景があるのですが、ひとつはキリスト教が迫害されていた時代に、官憲の摘発を恐れて別室に隠している聖書を礼拝の時にだけうやうやしく持ち出していたこと。もうひとつは、ビザンティン時代に行われていた聖堂への行進です。そこでは、皇帝も主教も民衆も一斉に聖堂に入っていきました。聖堂—それは神と出会う場所です。福音書が語るキリストに率いられて入場し、神の言葉、すなわちキリストご自身から福音を聞くということなのです。
 20世紀の正教の神学者のアレクサンドル・シュメーマン神父は「これは象徴的な儀式ではない。古きものから新しきものへの、この世から来たるべき世への教会の移り行きそのものだ。古き神殿は破壊された。今や唯一の至聖所はキリストご自身だ。キリストによって天への道が開かれた。今ここにある至聖所は教会が天に移っていくこと、すなわち、天上の至聖所への入場のしるし。教会は神の国、来たるべき世に入って行くのだ」と力強く語りました。私たちは、「あなたは今日わたしとともにパラダイスにいる」(ルカ23:43)との主の言葉によって、悔い改めた右の盗賊とともに神の国に入場していくのです。

 このとき続いて歌われるのが詩編95番の6節です。「来たれ。ハリストスの前に伏し拝まん。神の子、死より復活せし主や、爾にアリルイヤを奉る者を救い給え」が歌われます。意味は「来なさい。キリストの面前に伏し拝みましょう。神の子、死から復活した主よ、あなたにアリルイヤ(ハレルヤ)を歌うものをお救いください」です。

 (文責・月刊誌編集部)

 


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