「イエス・キリストはあなたにとってどんな方ですか?」
そう聞かれたら、なんと答えるでしょうか?
「救い主」、「いつも一緒にいてくださる方」、「愛してくださる方」…
いろんなふうに答えられるような気がしますが、番組「イエスとの対話の旅―現代霊性神学講座」で、中川博道神父はこう仰るのです。
「食べられるものになられた方」。
ドキッとする言葉です。
確かに主イエスは最後の晩餐で、「これはわたしの体、取って、食べよ」と弟子たちにパンを渡されました。
でも、この言葉を読む時、あるいは聖餐に与る時、自分には「イエスを食べている」という自覚があるだろうか…。
そしてこの時の弟子たちも、たぶんそんな自覚はなかったのではないかと…。
けれども中川神父は、さらにこう語るのです。
「これが、イエスの究極の自覚です」。
ただひとり、食べられるものになられた方ご自身だけがはっきりと持っておられた、この自覚に、中川神父のお話を通して、ご一緒に近づきたいと願います。
「私たちに食べられるものになる」。
このイエスの究極の自覚に、無関係な人は一人もいないのですから。