

中川 実はこの前メガネが壊れて、新調しましたが、お店で視力測定したらその古いメガネはずいぶん度数が合ってなかったみたいで、店員の方から「よくそれで道歩けてましたね」って言われちゃいました(笑)。まあ、全然わからないもんだなあと。

長倉 慣れというか、少しづつ悪くなると、もはや正しく見えてるって状態がそもそもわかんなくなっちゃうのかね。

中川 そうなんです。それって、気づいていないけれど、きっと生活の中で沢山あるだろうし、信仰だからこそあるだろうなって思うんです。
最近もリスナーから「聖書に書いてある、これってどういう事ですか?」という質問に、むしろ教えると言うより自分自身がちゃんと立ち止まってよく考える機会を頂く事が多いんですよね。
やはり聖書に慣れてるつもりで、実際は立ち止まっていない自分に気づくんです。

長倉 確かに長くクリスチャンをしていると、下手に知識がついてきますよね。

中川 そうなんです。例えば「旧約の神は残酷過ぎる!」というメールをあらためて頂くと、普段はそういう部分を見てみぬふりをしていることに気付かされます。若くても一応長くクリスチャンをやっているので(笑)。
一通りの理屈は持ってはいるんですよね。「これこれは、こういうこと」みたいに。
でも、聖書に素直な思いをもった人にそういうこねくり回した説明は通じないんです。だから、自分自身がいかに脆いものに頼っているのかって思うんです。