9/30 私なんかが救われる資格があるのか…


今回の「恵子の郵便ポスト」では、
ある男性の方からのメールをご紹介しています。

私は精神障害2級で、今は就労移行支援施設に通所しています。
去年までは別の作業所に約5年間通いましたが、そこは非常識な人ばかりで、
私はその利用者を心の中で裁いていました。

しかし、私に他人を裁く資格などないのです。
マタイ7章にもありますが、私も欠点だらけで、“梁”が目に付いてしまっています。
神様は完全な生を望まれるお方ですが、人間に完全な生など無理だと思います。
モーセも1回の失敗でカナンの地に入れなくなりました。
洗礼は受けていますが、私なんかが救われる資格があるのかなと思ってしまいます。


この男性の苦しみを、祈りによってとりなしつつ、
「完全」って何でしょうか?と恵子さんは番組の中で問います。

確かに私達には、神様から完全なものが
求められている事が聖書には書かれています。

でも一方。その神様の願いを知りつつも、
現実としてそれが成し得ない私達がいる。

聖書に登場する人々もまた、神様のご命令を真面目に、真剣に守ることで
少しでもそこに辿りつこうとしましたが、
あのモーセのように、どんな偉大な指導者であろうと、預言者であろうと、
結局はその「完全」さとは程遠かったのでした。


その意味では、確かに私達には
救われる資格は無いのかもしれません。
この男性に限ったことではなく、みんながです。

…でも、勿論それだけでは終わりません。この苦しみは絶望では終わらないのです。
「完全」は私達にはない。ではその「完全」さは、私達とは別のところにあるのでは?
と恵子さんは問いを続けます。


キリスト者が度々陥る矛盾。しかし、そこに差し込む光とは。希望とは。
ぜひ、今回も放送を共にお聞きくださいましたら幸いです。