「自分はやっぱり駄目だなとジャッジしてしまうのです。」


今回の「恵子の郵便ポスト」では、
聖書通信講座ティールーム・ルカによる福音書を
受講中の方からのお手紙をご紹介しています。

(ルカによる福音書9章、「五千人の給食」の記事を読んで)
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という言葉は、
言葉どおり群衆に食べ物を与えることではなく、
できない自分を捧げることを求められていたのでしょうか。…

自分にはできないことを命じられていますが、
できない自分であると認めるように求められているのかなと思います。
自分の弱さを認めることは、何も持たない私には簡単に思えますが、
自分の中でグルグル考えて、自分はやっぱり駄目だなとジャッジしてしまうのです。

主イエスを追って集まってきた五千人の群衆。主イエスは何も持たない弟子たちに、
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」という無茶な命令をします。
結局主イエスが、奇跡によってパンと魚を増やし群衆に分け与えるのが
この「五千人の給食」のお話ですけれども、
あなたはどのようにしてこの不思議なエピソードを聞くでしょうか?

「イエス様は私達にできそうも無いことばかりをお命じになりますよね」
そう恵子さんが語ること。

なんとなくこの信仰においては当たり前の事のようで…でも実際の私達は、
まるで普段の生活と信仰の生活は別のことだと言わんばかりに、
いつも自分の能力で身の回りの困難に立ち向かい、乗り越えられる事もあるけれども、
結局、どこかで傷つき、疲れ続けているような気がします。

そして自分自身を「ジャッジ」してしまうのですよね。

果たして、この自縄自縛から抜け出すためには…
弱さを認めること、そんな自分を捧げるとは一体どういうことなのか。
主イエスの語りかけに今一度、ご一緒に耳を傾けたく思います。