あなたの罪のために

喜び、ここにはじまる—マルコによる福音書(再) 
平野 克己(日本基督教団代田教会牧師)
2月25日(土)放送「ゲツセマネの祈り」マルコによる福音書14章32~42節

FEBC月刊誌2023年2月記事より

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 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」  それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」更に、向こうへ行って、同じ言葉で祈られた。再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。

 (マルコによる福音書14章32~42節)


 イエスがご自分の気持ちをここで初めてお打ち明けになり、「ここを離れず、目を覚ましていなさい」(34節)と言われました。そしてひれ伏して祈られました。異常な姿勢です。当時は地面に両足をつけて手を伸ばし天を仰いで祈ったからです。この異常なご自分のお姿をはっきり目に焼き付けて欲しいと願っておられる。けれども、弟子たちはその主のお姿を傍で見ていることが出来ない。暗闇の中で悶え苦しみながら、赤ちゃんがパパと呼ぶように「アッバ、父よ」(36節)と叫ぶ姿を。

 ある人がこう言います。「人間には自分の死と罪とを見つめ続けることが出来ない。そこで人は眠り込む」。だから、「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。」(41節)と主イエスは言われる。あなたが眠るなら、私は目醒めていようと。だから、その私たちの罪を負って主は十字架へと向かうのです。主イエスが、私どもの罪をいたく感じながら、死ぬほどの思いをもって祈っていて下さるのです。その主イエスの故に、私どもの今日がある。この主イエスを神は裁かれました。私どもを罪から救うためです。この主イエスを神は甦らせて下さいました。罪を抱えるあなたのために今日も主は眠らないで祈っていて下さるのです。

 (文責・月刊誌編集部)

 



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