イエス様を別の何かと置き換えてしまう歪み


今回「コーヒーブレイク・インタビュー」にご出演くださいましたのは、
日本バプテスト連盟太田キリスト教会牧師の林健一先生です。

その反社会性・カルト性が大きく問題視されている、旧統一協会。
実は先生も、過去に入信されていたご経験があり、
そのことを深くお話くださいました。

会社務めをしていた20才の時、駅前でのアンケートがきっかけでした。家庭に問題を抱えていた私は、どこかで深く孤独を経験していたのだと思います。初めはそういう団体とは分からなかったこともあり、孤独な自分が愛されていくことがただ嬉しかった。

しかし半年が経ち、先生の中に疑問が芽生えてきました。
最も大きい影響があったのは、「伝道」について、であったと語られます。

私は伝道があまり出来ず、それは「救い」が達成出来ないことを意味します。ですから行き詰ってしまったのです。「統一協会でも自分はダメか…」と思いました。そこで、聖書の神様という方に真剣に祈ってみようと思ったんです。

もちろん、指導者たちへの崇拝、高額霊感商法、
借金をさせてまで献金をさせるノルマ、合同結婚、などなど、
世間の方々も驚くような内実がこの旧統一協会のグループにはあります。

そしてそれらが余りにも酷すぎるために
どこか「別のところ」で起きていた恐ろしいこと、のように
私もいつの間にか捉えてしまっていました。

しかし、この先生が経験した「行き詰り」
その事を考えると、私達の信仰生活にも
決して無縁な問題ではないと感じさせられました。

神様と私の関係において、「恵み」を口にはしながらも、本当に安心して「恵み」を受け入れていない私がいる。「こういう私にならなければ」とか「奉仕をし続けなければ」とか、そこに結びつけて信仰生活を送ってしまい、そしてイエス様を文鮮明とただ置き換わっただけでとらえてしまうことが起こるのです。


こうして、イエス様を別の何かと置き換えてしまうこと。
いつの間にか、自分の理想に追われたり、奉仕に疲れ切ってしまうこと…。

一体その歪みはどこからやってくるのでしょうか?
引き続き、先生のお話からご一緒に考えていけましたら幸いです。


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