死の陰の谷を歩むとも

FEBC特別番組 「死の陰の谷を歩むとも」 
酒井 勲(松任教会牧師) 朗読・吉崎恵子、聞き手・立石美歩
6月3日(土)放送

FEBC月刊誌2023年6月記事より

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主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。

主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、
あなたのつえはわたしを慰めます。

 あなたはわたしの敵の前で、
 わたしの前に宴を設け、
 わたしのこうべに油をそそがれる。
 わたしの杯はあふれます。

わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。
わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
―詩篇23篇

 私の父親は非常に教育熱心で、私が全然勉強ができなかったので、小学校5年生頃から父に勉強を教え込まれました。ところが私はついていけない。父は短気でしたから手が出る。殴られて、一時的に耳が聞こえなくなったこともありました。学校でも家でも安堵できない。行き場がない。やがて不良仲間と一緒に悪さをいろいろやるようになりました。

 そんな時、うちでただ一人教会に行っていた妹が一枚のチラシを持ってきた。松原湖バイブルキャンプでした。両親は少しはまともになるかと思ったんでしょう、「行け」と。それが、人生の転機となりました。毎晩、福音を前にして、自分の罪深さを否定できなくなった。イエス様の前に悔い改めました。イエス様と生まれて初めて出会ったんですね。

 その後まもなく妹がネフローゼを発症して、3年の闘病の末、主のもとに帰っていきました。その死と向き合うことは、大きな問いになりました。病というのは、死というのは、こんなにも恐ろしく残酷なものかと。妹は、体内に水が溜まって体重が100キロを越え、お腹の皮膚が裂けて、水が出てくるような状態で、この世を去っていったんです。

 その妹がね、死ぬ一週間ほど前にこう漏らしたんです。「神様がみんなわかってるからいいの。」その時の病室は、本当に冷たく緊迫していました。医者からも「覚悟してください」と言われてましたから。その中で、この一言で。ここにイエス様がおられる。妹と共にいてくださるって、理屈抜きで感じました。その時です。このイエス様のために生きよう、生きるしかないって。それが神学校に進む決心になりましたね。私たち家族にとっては妹は一粒の麦でした。両親もその後間もなく洗礼を受けていきます。
 ただ、35~6歳の頃に、今で言うパニック障害なんですが、突発的な恐怖心を伴った動悸が起きるようになって。カウンセリングを受ける中でわかったのですが、私の奥深くに、子供の頃父親から受けた暴力の傷があったんです。抑圧されて屈折した父との関係の歪です。
 そして一昨年、癌が見つかりました。妹の死と重なって、もう問答無用で自分の死ということと向き合わされます。そして、ベッドに伏しているとね、いろいろと思い返すんです、昔のことを。父親に何遍も殴られて、横道にそれたなあって。そのまっただ中でイエス様に救われていったことを思い出す中で、あの松原湖のキャンプでイエス様と出会って、自分が罪から救われたのだけれど、その時すでにイエス様が、私と父との間に入ってくださったんだって気付かされました。私と父との間にイエス様は本当に深く介在し、いてくださるんだって。イエス様の愛に尽きますよね。そう気付くまで、57年も経ちましたけどね。確かに、イエス様は死を超えて、よみがえって、今生きていらっしゃる。

 抗癌剤と免疫療法のひどい副作用で、食事をしても全部吐いちゃう状態が二ヶ月余り続いて、その時に、再び与えられたのは詩篇23篇です。「死の陰の谷を歩むとも…」もう自分じゃどうしようもできない、全部人の世話になって、助けてもらう中で、この詩篇がね、この御言葉がね、今ここにいる、身近にいるって感じるんです。

 (文責・月刊誌編集部)

 


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