インターネット世界
誰もが簡単に世界中の情報から
すぐに自分の欲しい答えを探し出すことができ
どこにいても人とつながれる世界。
だからこそ「私」が問われる世界。
そこで何をするのか?誰とつながるのか?
そして、このインターネット世界に向けて
私たちはキリストの命をどう分かち合えるのか?
キリスト教放送局FEBCのスタッフが
その実験に挑戦した
試行錯誤の記録をお届けします。

今回の企画、FEBCスタッフの中川が注目したのは、
X(旧・ツイッター)というSNS。
匿名でも利用できるため、普段周りには話せない思い、隠している感情が、
生々しく赤裸々に書き込まれることも。
その中でも、インフルエンサーと呼ばれる発言力の高い人の言葉は
人々の人生に大きな影響を与え始めています。

たとえばある日は、このようなやりとりが…

人や物事に執着するのをやめてみましょう。執着が全ての苦しみ、悲しみ、怒りを生むんです。そうすれば、心が一気にラクになる。程よくいい加減でいる方が心も軽くなるし、結果的に、何事もうまくいく。みんな「まあいいや」の精神で生きよう。気楽にゆるく、人生楽しもう!
中川:いつもポジティヴな発言をされている人気インフルエンサーさんです。この書き込みに何万もの「いいね」がつくのは、むしろ私達がそれだけ前向きになることが難しく、もしかすると…この発言の背後にも、ご本人しか知らない悲しみや、苦しさがあるからかもしないと思いました。


良い事を聞かせていただきました!こういう考え方は自分の生活を楽にしてくれるといつも実感してます。やっぱりいちいち周りに流されないのがメンタル安定の秘訣ですよね。
人間関係。そのことに悩めば悩むほど、自分が揺らぐ。だからこそ、自分のあり方を肯定してくれる言葉が必要ですよね。私もそれがあってどうにか日々を持ちこたえていますよ。


「まあいいや」は、私にとって魔法のことばです。こういうこと、学校でも教えればいいのに。 そうしたらみんなもっとラクになれるんじゃないかなあ。
誰もが他人事じゃない、という思いを感じます。学校の勉強では学べなかったあれこれ。社会に出るとむしろ本当にそういう事ばかり。なぜ私達こうなってしまうんでしょう…そういうもどかしさも湧いてくる。

しかし、この「まあいいや」に、多くの共感と称賛の言葉が集まる陰で…

私も「まあいいや」って片付けたいんですよ。でも、心のおさめ方がわからないんです。執着が捨てられません。そこからくる、怒りや、悲しみ、そして、恨み。いちいち心を乱されて、いい加減疲れ果てました…。
この返信。無視され、批判すらもされていました。でも、それをわかっていても、書き込まざるを得なかったうめきなのだと思います。そして私自身も、実はこの言葉を無視し、批判する一人なのだと…

SNSでのとりなしの祈り。今回のWEB実験室はそれがテーマです。
インターネットに様々な形で書き込まれる悩み、苦しみ。
時に、耳を塞ぎたくなるようなうめき。
でも、そんな「声なき声」にこそ、
祈りを通して聞かねばならない響きがあるのだと思います。
なぜならそうして避けたくなる所にこそ、
自分自身の癒やされるべき痛みもあるのですから。
ぜひ、番組をご一緒にお聞きください。