
今回のFEBC特別番組では、「秘跡的人間」といういささか不思議なタイトルで、
英隆一朗神父のお話をお送りしています。
あまり聞き慣れない文字の並び…
と思われた方も多いのではないかと感じるのですが、
そこには、私たちの信仰はどのように成り立っているのか?
という問いかけが込められています。
「やはり、『秘跡的に物事を考える』必要があると思うのです。
私たちの信仰は、言葉だけで物事は成り立っているのではないからです。
言葉に伴う私たちの『あり方』が大事になってくる。
私たち日本人は人を信頼する時、その人の言葉だけを信じるというよりも、
その人の生き方を信じるものではないでしょうか。
信者がある神父を信頼するという時、
その神父が説教が上手か下手かではありません。
つまり、語ることと私たちの存在や行いのあり方が問われている。…」
秘跡といえば、洗礼や聖餐などの「式」が真っ先に挙げられると思います。
しかし、主が与えてくださるしるしは、それらの特別な場に留まらず、
私たち自身がどう語り、どう生きるか、
という所にすでに発揮されていると語られるのですね。
ある意味でそれは、クリスチャンにとって基礎の基礎のこと。
当たり前のことであるのかもしれません。
しかし、私たちはそんな「秘跡的人間」である事を
明確に望んでいたでしょうか?
そのような不思議が、まさに自分のこの身に委ねられていると
本当に信じていたでしょうか…?
私は、おざなりにしていた多くの事を
今、主に示されています。
ぜひ英神父のお話から、改めてこの私たち一人ひとりの信仰の歩みを
ご一緒に見つめ直していくことが出来ましたら幸いです。
