9/2「生まれなかった方が、その者のためによかった。」

 


今回の平野克己先生による「喜び、ここにはじまるーマルコによる福音書ー」は、
14章の過ぎ越しの食事、主の晩餐のシーンからのお話です。

一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」…「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」…

恐るべき言葉ですよね。
「生まれなかった方が、その者のためによかった。」
多くの人が、この言葉につまづくのではないかと思います。
それは単に、「裏切り者ユダ」だけに言えた話ではないと、
私たちは知っているからこそなのでしょう。

しかし(他の弟子たちは)「あのユダが裏切ったのだ」と正々堂々と言えたでしょうか。私はそう思いません。残りの十一人もやがてすぐ数時間の後に、みんな主イエスを捨てて逃げたのです。

平野先生は、幾度もこのメッセージの中で「悲しみ」を語ります。
私たちをとりまく色々な不幸。痛み、苦しみ。
しかし何より、自分が生きているという事を受け止められない。
彼らは裏切りの中で、その最大の闇にぶつかったのだと感じます。

でも、大切なのはここからなのですね。

平野先生は、この「生まれなかった方が、その者のためによかった。」
その先にある主イエスのみ思い、み言葉を、主の晩餐の光景の中に聞くのです。

この裏切りの、罪のど真ん中で一体何が起きたのか?

ぜひご一緒に先生のお話から、
この方の救いの特別さ、不思議さを再び仰ぎたいと願います。



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