主イエス・キリストの受難と死―受難史の黙想

 


3月31日は、十字架の死からご復活された
主イエス・キリストをお迎えするイースターです。
そして、そこに至るまでの日々も受難節やレントなどと呼ばれ、
私達にとって欠かせざる教会の暦とされてきました。

しかし、喜びのご復活を待ち望むだけではなく、
なぜその「受難」「み苦しみ」自体を思う時が大切なのでしょうか?

今回放送する特別番組「主イエス・キリストの受難と死―受難史の黙想」は、
その問いについて岩島忠彦神父がとことんまでお語りくださった番組である、
とも言えるかもしれません。

私たちは教えや外的な事柄にだけ目が行ってしまって、
キリストがどんな心を持っていたか忘れてしまうことがあるんです。
しかしそのことが一番大切です。

見えないからすごく難しい。
でもそのことがなければ他は全てあんまり意味がないんです。…

「キリストの心を忘れれば、他は全て意味がない。」

恐ろしいことです。
しかし、いつもそうなってしまっている私たちがいるのだと思います。
十字架ですら、遠く過ぎ去ってしまった無関係な出来事のようにして…

ぜひ今一度、今を生きるキリストを信じる私達であるからこそ。
このご受難について、そこにあるみ心について
ご一緒に思いを深めていく時が与えられましたら幸いです。


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