一念発起、神を信じてみようと…

 

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今回の「恵子の郵便ポスト」では、聖書通信講座ティールームで
マタイによる福音書を受講してくださっている男性からのメールをご紹介しています。

聖書によるたとえ話って理解しにくいです。 「種を蒔く人」の文の意味は理解出来ても、自分自身に照らし合わせ教訓にすれば良いと思 うだけで過ぎてしまうのが現状です。格言として捉えてしまうのは、心に入ってこない です。他のたとえ話でも頭の整理が付かなくなりがちなので 、一念発起して神を信じてみようと思い、以前の自分にはなかった心での聖書の読み方を実 践しています。


確かに聖書の言葉って難しいですよね。
特に、その言葉を「教訓」としてしまうと、この方のおっしゃるとおり、
本当に過ぎ去っていくだけのものになってしまう気がします。

しかし、そんなとき何を私達はスルーしてしまっていたのか?
心に入ってくるべきものとは何だったのか?

今回、恵子さんのお返事の中で
、私自身がそのことを
しっかりと受け止めようとしてこなかった事に気付かされました。


教訓にしてはならないという思いで、神様を信じようと一念発起された、というのは信仰だと思うんです。だって例えばね…


私はこれを聞いてイエス様、ごめんなさい!と思いました。
そしてその思いこそが、「一念発起」の芯にあるものなのだな、とも。

このリスナーの方に与えられた新たに信仰に立ち上がるような思い。そして、願い。
ぜひ、放送を通してご一緒にお分かち出来ましたら幸いです。

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