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イエスの死とは何か?

ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。(ヨハネ19:31)

今回の「聴く信仰―いのち』をいただく御言葉黙想」では、
この「足を折って」という普段あまり目に留まらないような言葉を手がかりに、
イエスの死について黙想を深めていきます。

そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。
…これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある。(32〜33、36〜37)

この聖書箇所。
「そうか、預言通りになるためだったんだな。」
と、さらっと通り過ぎてしまうかもしれません。
なんとなく説明がついているような気がするからですね。

でも、そういう時にこそ、思い返してみたいのです。
私達を救うため死んだお方の死に様が、
そういう第三者的な視点だけで捉えうるのか、ということを。

なぜ、イエスの足は折られなかったのか。
イエスの死とは、何だったのだろうか。

他の誰でもない。
私自身にとって、このイエスの死とは何か?
山内十束神父様の導きによって、その問いをご一緒に深めていけましたら幸いです。

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