4-02:リスナーの声

「僕はイエス様が一番大切で、二番は何と言っても妻なんだ」

十日前、妻の母が危篤になりました。私は妻を急ぎ、義母の元へ送り出しました。ところがその二日後、元気であった妻の父が突然倒れ、半日余りで召天したのです。会堂に安置された棺の中には「僕が先に妻を看取って、この教会から送り出すんだ」以前から、そう言っていた筈の義父が横たわっていました。全く突然の召天だったので、義父の容貌は全く衰えていませんでした。いい顔のままでした。私は、もしも、葬儀中に再び病院から連絡があったらどうしよう・・・と懸念していましたが、知らせは来ませんでした。義母の病状は依然としてそのまま続いています。また、この想像すらしていなかった出来事の渦中にある妻に対して私はどう接すればよいのか・・・

ところが、このように思い惑っている私にとって身につまされる出来事がありました。義母は一週間以上前から意識が全く無い状態が続いていました。ですから、当然、義父の召天は知らないのです。ところが、親戚と看護師が見守っているなか、義母は突然、目を閉じたまま「わたしも行く」と、つぶやいたのです。「今、確かに『行く』って言ったわ!」

後になって聞くと、義母が言葉を発した時刻は、義父の出棺と時を同じくしていたというのです。私たちが義父の出棺を見送っていた時、教会の前庭で「驚くばかりの」を賛美していた時、その場に寄り添う義母の思いがそこにあったのでしょうか。これは、「僕はこの世ではイエス様が一番大切で、二番は何と言っても妻なんだ」と、かねがね言っていた義父の信仰ととその愛情、それがなせるわざだったのでしょうか。私には、ただ、「この世の常識」では説明することの出来ない出来事を前にして、そこにイエス・キリストを共に仰いで歩んで来た夫婦の絆、それを垣間見た思いがあります。そして、この出来事に接した今、私は翻って自分自身の妻へのあり方を考えています・・・

番組「Echo of Voices」12/2より
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自分だけ癒やしてとは願えない

英神父様の祈りのお話を聴いて、私は亡くなった弟の癒しを本当には祈っていなかったのかなと感じました。もう心の中で諦めていたのかなと。

先日、私の良性の脳腫瘍が、少しずつ大きくなっている事がわかりました。いずれは治療を…という話も。

改めて、生命に関わる病気を抱えた弟は毎日どんな気持ちだったのだろうと思います。私は良性なのに治療が怖い。まして弟はどれほどの苦しみを背負って辛い治療を受けていたのか、何にもわかってあげられなかった…。

そして今、自分の癒しを願うのが虫のいい話に思えてしまいます。弟の時は諦めて、自分だけ癒やしてくださいとは願えない…。そもそも、願っても聴いてもらえないと、また諦めてる。願う事も委ねる事もできないのに、治療が怖いとぐるぐるする今日この頃です。

番組「恵子の郵便ポスト」11/27より
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