トップ260303

「叫び」

井幡清志先生による「主よ、あなたが歩かれる道ならば―マルコによる福音書―」。今回は、10章46、47節をお読みしました。

バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。

先生はこの言葉を通し、「実は私たち誰もが同じ叫びを内に持っている。」と語られます。

当時ユダヤの社会では、目が見えない者は仕事をすることができません。ですからバルティマイは、他人の気配を感じては、「憐れんでください」と叫んできたのです。不本意であったに違いない。でもそれをやめるわけにはいかないのです。そして、私たち誰もが生きていく中で味わっている事実を、彼はとても象徴的な形で味わっていると私は感じました。…人間は誰でも、彼と同じように様々な手段に訴えて、自分自身の人生の渇きを癒やしたいと叫んでいる存在ではないかと思います。その意味では、彼も私たちも同じなのです。

こういった飢え渇き、きっと無関係な人はおられないと思うのです。

そして、そういう痛みに嫌気がさした私たちは、
いかにその執着を捨てられるか?
叫ばないで済む方法はないか?
という事を考えがちですけれども、聖書は全く違うことを語り始めます。

私たちの「叫び」が本当の意味を取り戻す所とは。
井幡先生の導きのうちに、ぜひご一緒に神様にお聞きしたいと願います。

放送を聴く>>