
聖書の言葉に向かい合うために、同じ礼拝の言葉でもある讃美歌を3曲選び、さらにWebアンケートで一番心に響く歌を募り、その助けにするというのが今回の企画。
とはいえ、讃美歌には文語体のものが多く、それがネックだと考えました。
でも、直訳だと私の拙さもあり魅力半減。
そこで、一層のこと私ならこう歌うと大胆な意訳してみました。

たとえば、初回の3曲の中の1曲をご紹介します。
聖歌539/新聖歌282「見ゆるところによらず」
見ゆるところに よらずして
信仰によりて 歩むべし
何をも見ず また聞かずとも
神の御約束に立ち 歩めよ信仰により
歩め歩め疑わで 歩めよ信仰により
見ゆるところにはよらで
意訳(こちらです)が参加者のお役に立てたかは別にして、私自身が讃美歌を味わうことに役立ったように思います。
それでもです。
それでも、私自身はこの歌に対して躊躇いがありました。特に最後の2行が…。
信仰ってヤバイよねって。
「疑うことは許されないの?こうやって無謀にも信仰を押し付けられたら怖い」と思う方は少なくないはずだと。
そこで「外からの声」の登場です。
アンケート結果はこうだったんです。

「見ゆるところによらず」の結果は第3位。
案の定?いえ、私にとっては思ったよりずっとこの歌を選ぶ人がいて驚きだったし、戸惑いもありました。「なんで?」と思いながら、その自分の思い描かなかった声によって背中を押されるように、自分の中で変化が起こったように思います。

その変化によって、御言葉とどう出会い直したかは番組後編を、ぜひお聞きください。
そして、この場をお借りしてこのアンケート企画にご協力くださった方に心から感謝申し上げます。
24十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」26さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」28トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。29イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
(ヨハネによる福音書20:24-29)

後編
前編はこちらからお聞きいただけます>>
おまけ
※超意訳
分かるもので判断するなら只の人。
どん底で誰も何も頼れない時に、神の約束がわかるんだから。
だから、疑いは一旦捨てなきゃ。
そこからしか、信仰は始まんない。 だから歩め。大丈夫、必ず歩める。
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