
情報の荒海で、共に空を見上げて。
SNSやインターネットなどであふれる情報社会の中で、私たちは繋がりを求めながらも、かえって孤独を感じたりはしていないでしょうか。
そんな孤独を感じる夜…、夜空の下、そこにもおられるイエス様に出会う旅に出ませんか。さらにあなたの空の写真も大募集。ご一緒に、天を見上げて聖書を味わえたら幸いです。
夜空の向こうの御言葉黙想
【前編】
【後編】
夜、電車に揺られて、海を目指した。
それは、知る人ぞ知る海芝浦駅―工場地帯の海辺に佇む終着駅だった。
改札の外はすぐに工場の敷地内になっているので、関係者以外は外に出られない珍しい駅でもある。
そんな駅ではあるが、昔から時々、訪れる。
工場の始業、終業時間帯は混雑するようだが、日中や夜は閑散としていて、何か考え事をしたり、逆に何も考えずにぼーっとするのにはぴったりな場所なのだ。

ふと、前に来たのはいつだっただろうか、と思った。
前職は、いわゆるサラリーマンだった。何かいろいろなことに追われて疲れていたような気がする。前に来たあの頃の自分は、何を考えていたのだろうか。

この終着駅に来るまで、夜の車窓には、たくさんの光が流れていった。
あらゆるものが、あっという間に過ぎていくこの世界と重なって見えた。
自分自身のことも含め、新しい情報が次から次へと入っては去っていくこの世界。
しかし、そこで生きる自分は、何か大切なものを見落としているのではないか。
もしかしたら、聖書を開いているときでさえも…。

今夜は、この終着駅で聖書を読もうと思っていた。
イエス様の御言葉を求めて。
夜空を見上げる。今日は、ちょうど流星群が来ているという。
見えるだろうか。その光が。まことの光が。